青田原(読み)あおたはら

日本歴史地名大系 「青田原」の解説

青田原
あおたはら

[現在地名]本宮町荒井・青田

江戸時代に荒井あらい村と青田村にまたがって所在した原野。「政宗記」の本宮戦付人取橋合戦の条に「太田原」と記される。二本松藩の茸狩場(留山)として利用された。また弘化二年(一八四五)藩の火術稽古が行われ、多くの観客が集まった。安政二年(一八五五)・同三年には大規模な軍事訓練が行われ、藩主の上覧があった(佐藤家文書)。明治一三年(一八八〇)四月、福島県の開拓可能地に関する告示第五七号は、安積あさか郡の各原野とともに青田原もあげた。士族授産国策に沿って、同年七月旧二本松藩士梅原親固・安保七郎・松田正斎らを中心に二本松開墾社が組織され、青田村の原野二八町四反余、荒井村の原野六六町一反余、計九四町六反余の「官有地拝借願」が提出された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「青田原」の意味・わかりやすい解説

青田原
あおたはら

福島県中部,本宮市南西部の台地に広がる原野。面積約 1km2戦国時代伊達政宗佐竹義重らが戦った古戦場。1880年かつての二本松藩の藩士が入植,その後疏水が開削されて水田地帯となった。

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