青年学級(読み)セイネンガッキュウ

デジタル大辞泉 「青年学級」の意味・読み・例文・類語

せいねん‐がっきゅう〔‐ガクキフ〕【青年学級】

第二次大戦後、勤労青少年を対象職業生活に必要な知識技能習得および一般教養向上目的として、市町村が開設した教育機関。青年学級振興法によって規定されていたが、平成11年(1999)の同法廃止以降は市町村が独自に運営

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精選版 日本国語大辞典 「青年学級」の意味・読み・例文・類語

せいねん‐がっきゅう ‥ガクキフ【青年学級】

〘名〙 義務教育終了後、上級学校に進まないで実務に就いた勤労青少年のために設けられた社会教育。内容は一般教育ほか、職業上の知識技能の教育が含まれている。昭和二八年(一九五三制定

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改訂新版 世界大百科事典 「青年学級」の意味・わかりやすい解説

青年学級 (せいねんがっきゅう)

1953年に成立した青年学級振興法にもとづき,勤労青年に対して実際生活に必要な職業または家事に関する知識および技能を習得させ,その一般的教養を向上させることを目的とした市町村の社会教育事業。青年学級振興法成立以前に,農村を中心に自主的な青年学級がつくられていた。1947年成立の学校教育法によって青年学校に代わって新制の高等学校(1948発足)ができたが,定時制分校が少なく農村の勤労青年に教育の機会を与えるには不十分であった。そのため,それに代わって町村によって青年学級とか青年学園とか名づけられた教育事業が行われた。青年学級振興法は,これらの教育事業を奨励する目的をもっていたが,勤労青年に後期中等教育の機会を保障するものではなかったし,運営に枠をはめたため,日本青年団協議会は青年学級振興法に反対し,〈基本的人権に立脚したものであること〉〈教育の機会均等の原則をつらぬくものであること〉〈不当な統制的支配や政治的干渉を受けないものであること〉〈平和のために努力する青年をつくる教育であること〉などからなる10項目の〈勤労青年教育基本要綱〉を発表した。そして,青年の自主性をそだて,共同で問題を発見し解決するための共同学習運動を提起し,全国の青年団でとりくみ,生活記録運動とともに青年学級の運営に少なからぬ影響を与えた。青年学級は,55年をピークとして減少する。ピーク時に学級数約1万7000,学級生数約100万を数えたが,70年代後半には学級数約2000,学級生数約9万6000余りにおちこんだ。その理由として,主要な対象であった農村青年の離村がすすんだこと,高校進学率が上昇したこと,青年の自主性が十分保障されなかったこと,予算や施設などが悪かったことがあげられる。70年代には,青年学級振興法にしばられない青年教室と名づけられた教育事業が盛んになった。
社会教育
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百科事典マイペディア 「青年学級」の意味・わかりやすい解説

青年学級【せいねんがっきゅう】

勤労青年が,知的・技術的教養向上のために,定時に地域の学校や公民館に集まって構成する学級。青年学校廃止後の空白期に山形県の青年の自主的な学習運動として始まり,青年学級振興法(1953年)によって国庫補助が規定されたが,また法制化により変質し,青年の自主性が失われる結果になった。1970年代には青年学級振興法にしばられない〈青年教室〉と名づけられた教育事業が盛んになった。
→関連項目成人教育

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「青年学級」の意味・わかりやすい解説

青年学級
せいねんがっきゅう

勤労青年を対象に,一般的教養の向上,実際生活に必要な職業または家事に関する知識,技能の習得などを目的として開設される市町村の社会教育事業。開設場所は市町村の公民館や学校と決められている。第2次世界大戦後,山形県の青年による自主的な学習運動として始ったものであり,青年学級振興法 (1953) の成立により法制化された。高校進学率の上昇や都市化の進行の影響を受けて,1955年をピークに衰退に向い,現在は青年講座,青年教育などの形で存続している。

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