陣定(読み)じんじょう

精選版 日本国語大辞典 「陣定」の意味・読み・例文・類語

じん‐じょう ヂンヂャウ【陣定】

大鏡(12C前)二「いよいよみめでたてまつらせ給て、陽成院おりさせ給ふべき陣定に候はせ給」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「陣定」の意味・わかりやすい解説

陣定
じんのさだめ

古代・中世における公卿(くぎょう)の合議制度。仗議(じょうのぎ)ともいう。律令太政官(りつりょうだいじょうかん)政治の簡略化に伴い、左右近衛(このえ)の陣座(じんのざ)(仗座(じょうざ)ともいう)において公卿の評議を行うことが通例となり、この称がおこった。その議題は、即位、大嘗会(だいじょうえ)、大葬、固関(こげん)、改元、諸社奉幣その他の臨時・恒例の朝儀、神仏事、年中行事、叙位、除目(じもく)、諸国申請雑事(しんせいぞうじ)、不堪佃田(ふかんでんでん)などの処置、さらに異民族来寇(らいこう)の撃退、反乱追討、訴訟裁決など、万般にわたった。その多くは朝儀・典礼にかかわることであったが、院政期にはとくに訴訟裁決機能が重大化し、中世訴訟制の基礎が形成された点が注目される。陣定における評議は、上卿(しょうけい)の主宰下に、その場の下位者から順に発言する制で、評議の結論は定文(さだめぶみ)に記され、決定は形式上、太政官符、宣旨、官宣旨などで通達された。なお陣定とは別に、天皇主宰の御前(ごぜん)定・昼御座(ひのおまし)定、摂政(せっしょう)・関白(かんぱく)主宰の殿下直廬(でんかじきろ)定、院主宰の院御前定・院殿上(てんじょう)定などが事柄に応じて開催されたが、後白河(ごしらかわ)院政期以降は院御前定、院殿上定などが通例化し、陣定の独自性は徐々に失われていった。

[棚橋光男]

『棚橋光男著『中世成立期の法と国家』(1983・塙書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「陣定」の意味・わかりやすい解説

陣定 (じんのさだめ)

左近衛または右近衛の陣座(じんのざ)における公卿の議定。陣議,仗議ともいった。平安時代に入って,内裏の天皇の御座所に公卿が会して行う御前定,清涼殿の殿上間における殿上定など,公卿の議定が盛んになったが,とくに平安中期以降,陣定は恒常的な公卿の議定として定着し,《御堂関白記》によると,平均して月に2,3回行われている。まず議事を主宰する上卿(しようけい)が,公卿に陣定の開催を予告し,当日は諸司・諸国の上申書や弁官・外記の提出した先例・勘文などによって末席の者から意見を述べ(古例は上席者から発言したのを後に改めたという),執筆の参議が各人の意見をとりまとめ,異論は併記して,定文を作成し,蔵人を経て奏聞し,裁可を請う。議事は諸国が上申する民政事項をはじめ,外交,軍事,司法,人事,朝儀など,国政全般にわたり,参議以上の現官公卿が議定するのを本旨とした。しかし藤原道長の専権時代,さらに院政時代には,かなり恣意的な運営が行われ,しだいに実質を失って形式化し,儀礼化したが,それでも江戸時代末まで存続した。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「陣定」の解説

陣定
じんのさだめ

仗議(儀)・陣議(儀)とも。平安時代に公卿が陣座で行った国政会議。まずある議事について定め申せとの勅をうけた上卿(しょうけい)が,外記(げき)に公卿の召集を命じる。式日に公卿が陣座に参会すると,蔵人(くろうど)から問題の文書が提出され,上卿はこれを諸卿に回覧させる。参議までまわると筆記用に硯筥(すずりばこ)を召す。硯筥には弁官が先例を勘申した継文(つぎぶみ)があるほか,外記も別途に勘文を提出した。最末の参議から意見をのべていき,参議(執筆(しゅひつ))が筆記して,最後に定文(さだめぶみ)を作成。上卿はこれを蔵人頭に付して奏聞した。最終決定は天皇または摂関の裁断を仰ぐが,たいていは定文どおりに裁可される。議事は国政の全般にわたり,重要な政務審議機関として院政期まで機能した。

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