金井町(読み)かないまち

日本歴史地名大系 「金井町」の解説

金井町
かないまち

面積:五三・九八平方キロ

国仲くになか平野のほぼ中央に位置し、島内唯一の海に臨まない町。東は両津市、北は標高一一七一・九メートルの佐渡第一の高峰金北きんぽく山を主峰とする大佐渡山地を境に相川あいかわ町、西は佐和田さわた町、南は国仲平野のほぼ中央を西に流れる国府こうの川を境に東から新穂にいぼ村・畑野はたの町・真野まの町と接する。大佐渡山地の山麓丘陵地帯である国仲丘陵が、国仲平野に没する標高一〇―二〇メートル付近を沿うように走る国道三五〇号沿線に集落が分布する。

金井町
かないまち

[現在地名]烏山町金井一―二丁目・みなみ一―二丁目・初音はつね

なか町の南に続く関街道の両側町で、城下南端に位置する。町の長さは四三一間で、城下最大の町域を有する。かつてはあら町と称したが、享保六年(一七二一)の火災で全町域が焼失し、以降金井町と改称したといわれる(烏山町史)。南端は城下南入口にあたり、木戸と辻番所が置かれた。泉渓せんけい寺門前馬場入口に荒町中木戸、仲町境を東流する清水しみず川を挟んで両側に中木戸があった。清水川の当町側土手には幅六間、長さ二〇間と一五間のそれぞれ東西に延びる火除け土手が、また関街道から東西に入る入口にいくつかの横木戸があった。

金井町
かないちよう

[現在地名]下館市こうへい 金井町

町の東端を北上し、笠間道と結ぶした町第二の町筋。水谷氏時代からの町筋といわれ(下館町郷土史)、元和九年(一六二三)の常陸国真壁郡田中村検地帳(田宮家文書)に「かない屋敷たおし」とある。元禄一五年(一七〇二)の藩主増山氏への差出明細書(同文書)によれば、当町には金井口の城門・木戸・高札場があり、勤行ごんぎよう川には長さ一二間・幅三間の土橋(大橋)が架かっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報