那須郡(読み)なすぐん

日本歴史地名大系 「那須郡」の解説

那須郡
なすぐん

面積:一二〇七・九三平方キロ
那須なす町・西那須野にしなすの町・黒羽くろばね町・湯津上ゆづかみ村・小川おがわ町・馬頭ばとう町・烏山からすやま町・南那須みなみなす町・塩原しおばら

県の北東部に位置する。かつての那須郡のうち、北西部から中央部は黒磯市・大田原市および矢板市、塩谷郡喜連川きつれがわ町の一部となり、昭和五七年(一九八二)塩谷郡から塩原町が編入されたために、現在東・南部の那須・黒羽・湯津上・小川・馬頭・烏山・南那須の六町一村と、北西部の西那須野・塩原の二町に分断される。東・南部の六町一村は北は福島県、東は茨城県、南は芳賀はが茂木もてぎ町・市貝いちかい町、西は南半で塩谷郡高根沢たかねざわ町・氏家うじいえ町・喜連川町、北半で大田原市・黒磯市に接し、北西部の二町は北は塩谷郡藤原ふじはら町・黒磯市、東は同市・大田原市、南は矢板市・塩谷郡塩谷町、西は藤原町に接する。中央部を国道二九四号、北部を同四号が縦断し、南域を同二九三号が横断、湯津上村から塩原町に向けて同四〇〇号が北西に延びる。近世まで北はほぼくろ川を境に陸奥国、東はほぼ八溝やみぞ山地の分水嶺を境に常陸国、南は芳賀郡、西は塩谷郡に接していた。北西部は標高五〇〇―一九〇〇メートル前後の山地(帝釈山地の一部、那須山地)で、同山地より発する那珂川は黒川などの支流を合せ中央部を南流、南部で那須野ヶ原と塩那えんな丘陵の境を南東流するほうき川、南端で同じく南東流するあら川を右岸に合せる。「和名抄」では諸本とも訓を欠くが、「延喜式」神名帳に「ナス」の訓がある。以下の記述は、律令制下に成立し、大田原市の成立まで続いた那須郡域を対象とする。

〔原始〕

先土器時代の遺跡は少ないが、おもな遺跡には那須町の迯室にがしむろ遺跡、小川町の仲町なかまち遺跡、烏山町の宮原みやばら遺跡などがある。縄文時代に入ると遺跡数は増え、県内最多を数える那須町をはじめ黒羽町・湯津上村・小川町・馬頭町・烏山町などに多く分布する。おもな遺跡は早期のものに那須町の木下こじた遺跡、中期のものに同町の門場もんば遺跡、西那須野町槻沢つきぬきざわ遺跡、馬頭町の松野まつの遺跡、後期のものに同町の古館ふるだて遺跡、晩期のものに烏山町の羽場はば遺跡・鳴井上なるいうえ遺跡などがある。特徴として晩期の土器に東北地方南部の影響を強く受けたものが多いことがあげられる。また仲町遺跡・古館遺跡は縄文時代から古墳時代にかけて、小川町の浄法寺じようほうじ遺跡は縄文時代から平安時代にわたる複合遺跡としても注目される。弥生時代の遺跡はそれほど多くなく、おもな遺跡には中期のものに那須町の上田かみだ遺跡、烏山町のはちだいら遺跡などがある。

当郡域は県下で最も早く古墳が築造された地域で、前期古墳は郡中部の那珂川流域を中心に、前方後方墳を主体とする注目すべき古墳が多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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