金乗院(読み)こんじよういん

日本歴史地名大系 「金乗院」の解説

金乗院
こんじよういん

[現在地名]川島町上伊草

上伊草かみいぐさ集落の南西部、越辺おつぺ川の東岸、同川の自然堤防と国道二五四号の間にある。真言宗豊山派、土袋山普門寺と号し、本尊大日如来。元禄七年(一六九四)の寺院開基由緒改帳(寺蔵、以下断りのない限り寺蔵文書)によれば草創は永仁五年(一二九七)のことで、開山は俊鑁という。天正一九年(一五九一)には徳川家康から朱印高一五石を与えられている(徳川家康朱印状写)。寛永元年(一六二四)に裕範から覚清に与えた印信は醍醐松橋無量寿院の意教方であった。これは同一〇年の関東真言宗新義本末寺帳に「本寺鶏足寺流」とあることと符合し、古くは下野小俣鶏足おまたけいそく(現栃木県足利市)の法流(意教方)が入っていた。

金乗院
こんじよういん

[現在地名]所沢市上山口

狭山丘陵の一角、南に多摩湖(現東京都東大和市)、西に狭山湖を見下ろす景勝地にある。通称山口観音。吾庵山金乗院放光寺と号し、真言宗豊山派。本尊千手観音は秘仏で、三三年に一度開帳される。行基作とも伝え、江戸時代には金乗院が別当を務める観音堂の本尊であった(風土記稿)。観音堂は弘法大師開山と伝えるが(「山口観音略縁起」金乗院文書など)、金乗院・観音堂とも創建の時期は不明。中世以来観音霊場として有名で、天正一九年(一五九一)一一月徳川家康から朱印地一〇石を金乗院宛に寄進された(「徳川家康朱印状写」同文書)。寺領は田園簿では勝楽寺しようらくじ村、幕末の改革組合取調書などでは新堀にいほり村にあると記される。

金乗院
こんじよういん

[現在地名]練馬区錦二丁目

如意山と号し、真言宗豊山派。本尊は愛染明王。古くは不動明王を本尊としていたという(風土記稿)。大和国初瀬はせ(現奈良県桜井市)長谷はせ小池こいけ坊末であった。文禄年間(一五九二―九六)の創建で、開山は元和三年(一六一七)に没した行栄、開基は慶長一七年(一六一二)に没した木下大炊介と伝える(同書)。寺領は一八石余で慶安二年(一六四九)以下、万延元年(一八六〇)まで九通の朱印状が現存する。

金乗院
こんじよういん

[現在地名]三田川町大字吉田字目達原

長崎街道沿いのかみはるにある。天正年中(一五七三―九二)鍋島氏の祈願寺として玄順の開山。宝雨山と号し天台宗。本尊は不動明王。

当院には万部塔がある。これは鍋島勝茂が天下泰平国家安全を祈り建立した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報