神埼郡(読み)かんざきぐん

日本歴史地名大系 「神埼郡」の解説

神埼郡
かんざきぐん

面積:二〇九・三四平方キロ
三瀬村みつせむら脊振村せふりむら東脊振村ひがしせふりそん三田川町みたがわちよう神埼町かんざきまち千代田町ちよだちよう

北に背振山地の尾根続きの山波があって福岡県と境する。東は三養基みやき中原なかばる町・上峰村・三根町、北西は佐賀郡富士町・大和やまと町、西は佐賀市と接する。また南は筑後川を境として福岡県と相対する。北から南へと細長い郡で、北半が山村、南半が平野部である。

〔地名の起源〕

肥前風土記」に、

<資料は省略されています>

とある。景行天皇が西国巡幸の際この地の荒神を鎮め神幸を得たので神埼郡というようになったという伝承である。この荒神を祀った神社が現在の櫛田くしだ(現神埼町)であるとされる。神埼の地名はまず神埼ヶ里(現神埼町の神埼)に発し、櫛田宮は古くから神埼ヶ里に鎮座していたものと思われる。また「神埼町史」によると、神埼の名は磐井の反乱の頃(六世紀初頭)、継体天皇の神幸かんさき皇女の名代としての神幸屯倉に起因すると推測されるとの説もある。

昭和三九年(一九六四)平城宮跡より出土した木簡に「肥前国神埼郡調綿壱伯屯四両、養老□□」の記載が確認された。養老年間(七一七―七二四)は「肥前風土記」成立よりも古いものと判断される。また「和名抄」に神埼の名があり、「加無佐岐」と読み、「延喜式」にも神埼郡の名がみえる。

なお古代以降神埼と神崎の字について櫛田仁比山にいやま両社の古文書をみると、中世のものは崎と書かれているが、江戸時代のものはいずれも埼となっている。「葉隠」には次のように記されている。

<資料は省略されています>
〔原始・古代〕

神埼は背振山地から南に延びた丘陵や有明海をひかえ、狩猟・漁労に適した土地である。丘陵地には石器類が出土する遺跡も多い。縄文式土器もみられるが、とくに弥生式土器と甕棺が多数出土したことは、農耕文化がいちはやく波及したことを物語っている。さらに大規模な前方後円墳も築造され、有力な豪族の存在が確証される。

「肥前風土記」によると、神埼郡は九郷二六里と記されているが、そのうち郷名が記載されているのは三根・船帆ふなほ蒲田かまた宮処みやこの四郷のみである。「和名抄」には三根・蒲田・宮処・神埼の四郷を伝えるだけで、多くの脱落があるものとみられている。三根郷は現千代田町のあねから神埼町の姉川あねがわ地方、船帆郷は千代田町の詫田たくた地方、蒲田郷は佐賀市蓮池はすいけ町の蒲田津かまたつ地方と考えられるが、宮処は郡の西南とあるので千代田町の境原さかいばる地方とみられるが明らかでない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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