那珂(市)(読み)なか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「那珂(市)」の意味・わかりやすい解説

那珂(市)
なか

茨城県中部北寄りに位置する市。2005年(平成17)那珂郡那珂町が瓜連町(うりづらまち)を編入し、市制施行、那珂市となった。市の北西部は八溝(やみぞ)山系から延びる瓜連丘陵、ほかは那珂台地那珂川久慈(くじ)川流域の沖積低地が展開する。JR水郡(すいぐん)線、国道6号、118号、349号が通じ、常磐(じょうばん)自動車道那珂インターチェンジがある。

 南北朝期の1336年(延元1・建武3)、南朝方の楠木正家は那珂一族に迎えられ、久慈川沿いの低丘陵上にある瓜連城に拠って北朝方の佐竹氏と対立。同年12月、瓜連城は佐竹勢の総攻撃を受けて陥落した。室町・戦国時代を通して当地に勢力を有した佐竹氏は1602年(慶長7)出羽秋田に国替となり、まもなく市域は水戸藩領となった。水戸から陸奥棚倉(たなぐら)(福島県)に通ずる棚倉街道(国道349号)の菅谷(すがや)村、額田(ぬかだ)村、奥久慈に至る南郷(なんごう)街道(国道118号)の瓜連村には宿駅が置かれ、菅谷、瓜連は商業町としても栄えた。

 東海(とうかい)村に隣接しており、1985年(昭和60)に日本原子力研究所那珂研究所(現、量子科学技術研究開発機構那珂研究所)が開設された。近年は「東海・那珂・ひたちなか」で進めている「サイエンスフロンティア21構想」の一翼を担う那珂西部工業団地が造成され、工場が進出、水戸市やひたちなか市のベッドタウン化も進んでいる。農業は台地でゴボウヤマイモカボチャ、トマトなどを栽培。8月に行われる菅谷の鹿島神社大助祭(おおすけまつり)(提灯祭)、静(しず)神社の秋の大祭で行なわれる「つた舞」などは著名。静神社は『古語拾遺(こごしゅうい)』によると織物の神とされ、この地域の農村の総鎮守であった。応永年中(1394~1428)佐竹氏によって、瓜連城跡(県指定史跡)の一角に移建された常福寺(じょうふくじ)は、近世、常陸浄土宗の総本山、また関東十八檀林(だんりん)(学問所)の一つとして栄えた。国指定重要文化財の『紙本著色拾遺古徳(しゅういことく)伝』や「絹本著色法然上人(ほうねんしょうにん)像」がある。上宮寺(じょうぐうじ)の紙本著色聖徳太子絵伝は国指定重要文化財。市の北部にある灌漑(かんがい)用の古徳(ことく)沼はオオハクチョウの渡来地と知られる。面積97.82平方キロメートル、人口5万3502(2020)。

[編集部]


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