辻が花染め(読み)つじがはなぞめ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「辻が花染め」の意味・わかりやすい解説

辻が花染め
つじがはなぞめ

模様染めの一つで、室町時代から江戸時代の初頭にかけて盛んに行われた。種々の説があるが、辻が花といわれている染め模様の遺品資料には共通して、縫い締め絞りの技法による模様の輪郭線・境界線の表現がある。その縫い目がきわめて細かく、絹の平織地の細い織糸を2本あてぐらいすくうように細かく縫ってあり、縫い締めに用いられた糸は、しばしば取り残されているので判明するのだが、いずれも晒(さら)してない苧麻(ちょま)糸である。模様の輪郭線や境界線をいかに鮮明に表現しようとしたか、次期友禅染めが開発される以前の、自由な形象の絵模様染めの要望にこたえる精いっぱいの手段と努力がうかがわれる。この縫い締め絞りを基盤に、他の絞り染めが加わり、墨による線書きや隈(くま)取りが入り、朱や胡粉(ごふん)の彩色、箔(はく)を置くものも多く、ときには刺しゅうが加わったものもある。

 年代的には、遺品資料では、1530年(享禄3)製の幡(ばん)につくられていたもの(享禄3年という年紀のある紙片がこの幡には封じ込めてあった)が現存最古で、それ以前は不詳である。下限は17世紀初頭あたりで、以後はみられない。辻が花染めに用いられている生地(きじ)には練緯(ねりぬき)(経糸(たていと)に生糸緯糸(よこいと)に精練した糸を用いて織った平絹)が多く、節糸(ふしいと)を使った平絹などもしばしばみられ、まれには緞子(どんす)を用いた例もあるが、綸子(りんず)が多く用いられ始めた慶長(けいちょう)(1596~1615)末年ごろには、すでに辻が花染めの純粋な形が失われてきている。

 中世末から近世初頭にかけて、わが国の服装が、階層、男女を問わず小袖(こそで)が主軸となったおり、その小袖の加飾に先端を切って出現した美しく格調高い染織技術がこの辻が花染めであった。文献がきわめて少なく、しかも実物資料との結び付きが不明確であるため、現在辻が花と称しているものが、当時もその呼称であったものかどうか確証がない。

 なお「一竹(いっちく)辻が花」は、友禅職人久保田(くぼた)一竹(1917―2003)が、1937年(昭和12)、帝室博物館(現東京国立博物館)に陳列されていた辻が花の小裂(こぎれ)に感動、その高雅な美しさに魅了されて、いつかは自分もと長年努め、久保田一竹独得の辻が花染めを考案、62年(昭和37)以降発表したものをいう。

[神谷栄子]

『今永清士編『日本の美術113 辻が花染』(1975・至文堂)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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