足立遠元(読み)あだち・とおもと

朝日日本歴史人物事典 「足立遠元」の解説

足立遠元

生年生没年不詳
平安末・鎌倉前期の武士。遠兼の子。武蔵の在地武士で平治の乱(1159)には源義朝に従う。治承4(1180)年源頼朝挙兵直後から配下に参じ信任を得た。文武の才を兼ねていたとみえ,公文所寄人となり,頼朝の側近として吏務にも携わる。元暦1(1184)年平頼盛餞別の席に「馴京都之輩」として参じているが,大番役などで上洛し京都の文化風流を嗜んだほか,娘が後白河院近臣藤原光能の妻となっていることにも注目できよう。文治2(1186)年には遠元の家で一条能保の餞別の儀がもたれた。正治1(1199)年13人合議制の一員となり,さらに実朝にも仕える。源家将軍3代に勤仕し,宿老として重用された幕府の有力御家人である。

(奥田環)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「足立遠元」の解説

足立遠元 あだち-とおもと

?-? 平安後期-鎌倉時代武将
武蔵(むさし)足立(あだち)郡の在地武士。源氏の家人。平治(へいじ)の乱には源義朝(よしとも)にしたがい,治承(じしょう)4年(1180)源頼朝の平家追討の軍に属す。のち公文所(くもんじょ)の寄人(よりゅうど)となった。

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