赤羽根村(読み)あかばねむら

日本歴史地名大系 「赤羽根村」の解説

赤羽根村
あかばねむら

[現在地名]赤羽根町赤羽根

東は高松たかまつ村、西は若見わかみ村に隣接する。中世赤羽あかばね郷とよばれ建武三年(一三三六)の後醍醐天皇綸旨(白河結城文書)が初見である。この時から一五世紀中頃までは結城氏の所領であった。その後は鹿苑ろくおん院領となり、「蔭涼軒日録」の長禄四年(一四六〇)八月一七日条によれば、

<資料は省略されています>

とあり、当時赤羽禰あかばね郷を領していた京都の鹿苑院は破損船の財物を奪った郡代方を非難し、室町幕府に訴えている。

永禄八年(一五六五)家康の臣小笠原新九郎安元が赤羽根・あし赤沢あかざわを領して、当村日留輪の竜ひるわのりゆうはらに砦を築いた(赤羽根町史)

赤羽根村
あかばねむら

[現在地名]一色町赤羽あかばね

弓取ゆみとり川の河口にある海辺の村。北をふる川用水路が流れる。古くは「赤埴あかはにの里」「赤羽根あかはねの庄」「赤羽根の里」とよばれた。赤埴とは赤粘土で、羽根は埴の当字と思われる。一色地域内では最高地でいちばん早く人が住み始めたといわれ、弥生時代後期の貝塚が発見されている。

康正二年(一四五六)の「造内裏段銭并国役引付」に「百廿五文 伊勢国幡入道殿三河国赤羽根郷段銭」とある。吉良きら西条さいじように属し、矢作古やはぎふる川の下流に位置した。弓取川は東岸に細池ほそいけ須脇すわき市子いちごはちしり(現西尾市)・赤羽根の諸村が、西岸に今川いまがわ川口かわぐち熱池にいけ上道目記かみどうめき・下道目記・行用ぎようようの諸村(現西尾市)があり、赤羽根村の西を流れていた。

赤羽根村
あかばねむら

[現在地名]北区桐ヶ丘きりがおか一―二丁目・赤羽台あかばねだい三―四丁目・赤羽あかばね一―三丁目・赤羽西あかばねにし一丁目・同四―六丁目・岩淵町いわぶちまち

岩淵宿の南にあり、北西はふくろ村。日光御成道が通る。天文二〇年(一五五一)一二月二八日の太田康資判物(黄梅院文書)に「岩淵之内赤場根」とみえており、岩淵郷に属する一村であった。北条氏所領役帳には太田康資(新六郎)の所領として岩淵五ヵ村があげられており、赤場根はこの五ヵ村のうちであったとみられる。康資は前掲判物で赤場根八幡宮禰宜に一貫文を社領として安堵している。同社は岩淵郷全体の総鎮守と推定され、当地は岩淵郷のなかでも中心的な地であったとみられる。

赤羽根村
あかばねむら

[現在地名]嬬恋村三原みはら

吾妻川を境に芦生田あしうだ村の北に位置する。貞治元年(一三六二)一〇月一八日のしゝ大夫旦那職譲状(下屋文書)に「あかはねのとうけんし入道」、応永二〇年(一四一三)七月二五日の薩摩聖心旦那譲状(同文書)に「あかはねの道秀、道通中、とう内二郎・とう三郎・やさう二郎・けん内入道」と記される。「加沢記」によると、永禄三年(一五六〇)羽尾氏との合戦のなかで鎌原氏が嫡子筑前守を赤羽根台に出し、赤羽根の供養塚やほとけ坂が戦場となっている。

赤羽根村
あかばねむら

[現在地名]茅ヶ崎市赤羽根・小和田こわだ三丁目・菱沼ひしぬま一丁目

南の小和田村菱沼村高田たかだ村との境を大山道が走る。小田原衆所領役帳に市野助太郎「廿貫文 東郡赤羽禰開」、市野四郎左衛門「廿貫文 東郡赤羽禰開」とある。正保国絵図には「赤羽根」とみえる。

元禄一〇年(一六九七)旗本安藤・蜂屋・内藤・大橋(のち幕府直轄領から旗本戸田)・神尾・木原各領の六給。天和三年(一六八三)の東海道宿村道場間数高書帳(大和市史四)によれば東海道二三三間分の掃除・普請を課せられた。

赤羽根村
あかばねむら

[現在地名]作手村高松たかまつ

相月あいつき村の東南、峠を越えた山間にあり、杉平すぎだいら村の北西にあたる。寛永郷帳には「赤羽村」と記される。丘を隔てて北赤羽根と南赤羽根に分れる。慶長七年(一六〇二)より作手藩領、同一五年より幕府領、天和元年(一六八一)より鳥羽藩領、享保一一年(一七二六)より幕府領、天明二年(一七八二)より旗本巨勢家領、文久元年(一八六一)から幕府領に復し幕末に至る。

「三河国二葉松」には「赤羽根村古屋敷 奥平仁右衛門、黒谷久助、同甚右衛門、奥平家臣美藤源内」とあり、南赤羽根の字中入なかいり源内屋敷げんないやしきとよばれる所があり、川合禅源院過去帳に「天正元年八月二十二日奥平仕官美藤源内」とある。

赤羽根村
あかばねむら

[現在地名]三浦市初声はつせ和田わだ

北東は高円坊こうえんぼう村、南東は下宮田しもみやだ村・入江いりえ新田、北西は長井ながい(現横須賀市)に接する小村。正保国絵図には村名がなく、元禄国絵図に村名がある。「風土記稿」によればもと和田村のうちで、慶安年間(一六四八―五二)分村したが、竹之下たけのした村を含めて地域が錯雑して区別ができないとある。

赤羽根村
あかばねむら

[現在地名]勝浦市赤羽根

上野中島うえのなかじま村の北西に位置し、夷隅いすみ川が流れる。元禄郷帳に村名がみえ、高七八石余。寛政五年(一七九三)上総国村高帳では家数三一、旗本宅間領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報