幡豆郡(読み)はずぐん

日本歴史地名大系 「幡豆郡」の解説

幡豆郡
はずぐん

面積:八四・〇五平方キロ
一色いつしき町・吉良きら町・幡豆はず

県南部に位置し、渥美・知多の両半島のほぼ中央にあり、東部は山を隔てて蒲郡市、北部は額田ぬかた郡・西尾市と接する。旧郡域は、矢作川下流左岸一帯であった。東に幡豆山塊、南は三河湾に面し、中央に矢作古やはぎふる川が貫流している。

郡名は、藤原宮出土木簡に「三河国波豆評篠嶋里」とあるのが初見である。西隆寺出土木簡に熊来郷のものが三札出土しており、「参河国播豆郡熊来郷物部馬万呂 五斗 景雲元年十月十日」とある。平城宮出土木簡にも「参河国播豆郡析嶋海部供奉八月料御贄佐米楚割六斤」等がみられ、中央とのつながりをうかがわせる。「和名抄」は「幡豆郡」の文字をあて、「延喜式」神名帳は「羽豆神社」の字を用いているが、いずれもハズと読む。

〔原始〕

旧郡北部、現西尾市域に縄文・弥生の遺跡が多いのに対し、東部山地および佐久さく島に古墳が多くみられる。全長八九メートルの前方後円墳の正法寺しようぼうじ古墳が吉良町海岸部の丘陵に築かれているのをはじめとして、郡域には一〇五基が確認されている。うち三八基は離島佐久島にある。これに対し、貝塚は一〇、遺物散布地は五〇と少ない。佐久島では、縄文中期の土器片・磨製石斧・石錘、弥生中期および後期の土器片が出土するが量は少ない。古墳は小規模ながら数の多いのが特色で、六世紀後半から七世紀の構築と推定される円墳横穴式が大半である。遺物には須恵器の高坏が多いが、島の地域性を表す製塩土器も出土する。陸地では、正法寺古墳の構築は五世紀初頭と推定され、県下では規模も大きくかつ早い時代に属する。この北一・六キロの丘陵の先端には岩場いわば古墳があり、人骨大腿骨の納められた埴輪円筒棺が出土した。副葬品として丹、二口の大刀身、鎌、錐、瑪瑙や碧玉岩製の装身具が発見された。幡豆町さん山麓の古墳では鉄製馬具の轡が鉄剣とともに出土した。

〔古代〕

「和名抄」高山寺本によると郡内八郷は、能束・八田・意太・礒泊・大川・大浜・析嶋・修家である。このうち能束郷・八田郷は現西尾市域、礒泊郷は現吉良町域、析嶋は現一色町域に比定される。藤原宮出土木簡に「佐□嶋伊支須十五斤」とみえることや、平城宮出土木簡をはじめとした三六点が知多郡しの島と佐久島で発見されていることは、中央政府と当地方の深い関係を表している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報