資母郷(読み)しもごう

日本歴史地名大系 「資母郷」の解説

資母郷
しもごう

和名抄」にみえるが、諸本ともに訓はない。賀美(上)・奈加(中、のち尾張郷)に対する下である。尾張おわり郷の項に述べた推定に従って、資母郷の郷域を国分こくぶおよび田辺たなべ(現柏原市)を中心とする地域とする。国分の地名は国分寺の存在を伝えるが、国分寺は早く廃滅に帰したようで、確かな伝承地はない。片山かたやま・田辺・東条ひがんじよなどの各廃寺が擬せられてきたが、近年、東条廃寺が河内国分寺と確認された。国分尼寺跡はまだ確認されていない。田辺にある田辺廃寺は田辺史の氏寺と考えられる。田辺史は「日本書紀」雄略天皇九年条の説話が語るように、早くから河内飛鳥あすかの地に住んでいたが、都が近江大津にあるとき、山城山科に住んで幼少の藤原不比等の養育に当たったといい(尊卑分脈)、藤原氏の興隆とともに田辺氏の勢力も高まったと思われる。

資母郷
しもごう

「和名抄」所載の郷。高山寺本・東急本ともに訓を欠くが、万葉仮名のよみで「しも」であろう。郷域は出石川の支流太田おおた川の流域で、木村きむら太田中山なかやまなどを含み、現但東たんとう町の北部に相当する。平城宮跡出土木簡に「但馬国出石郡資(母)郷矢田部吉□」とある。

資母郷
しもごう

「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。欠年の勘籍歴名(正倉院文書)に「大倭国宇智郡資母郷」がみえる。郷域は現五條市西部賀美かみ郷・那珂なか郷よりみて吉野川下流方面と考えられるが、この地域は平安末期には坂合部さかいべ郷となっている(五條市の→坂合部郷

資母郷
しもごう

「和名抄」高山寺本・東急本は「之毛」の訓を付す。郷域は「布留屋草紙」「大日本地名辞書」などは現鈴鹿市やなぎ町・土師はぜ町・岸岡きしおか町および玉垣たまがき町周辺に比定するが確証を欠く。

資母郷
しもごう

「和名抄」所載の郷。高山寺本は「国用下」と注記する。「播磨国風土記」にはみえないが、同書都麻つま里が位置としては相当する。

資母郷
しもごう

「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。賀美かみ郷・那珂なか郷との関係から、現吉野郡内における吉野川の最下流部分にあたる現大淀町・下市町付近が郷域と考えられる。

資母郷
しもごう

「和名抄」高山寺本・東急本とも訓を欠く。平城宮出土木簡に「□前国大野郡下郷(ママ)荒人 五斗三年二月」とみえるものか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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