船王後墓誌(読み)ふねのおうごぼし

改訂新版 世界大百科事典 「船王後墓誌」の意味・わかりやすい解説

船王後墓誌 (ふねのおうごぼし)

飛鳥時代の官人,船王後の墓誌。船は〈ふな〉ともよむ。文中,668年に相当する〈戊辰年〉の年紀があり,現在までに発見されている墓誌の中では,最古の紀年を有する。文字は鍛造銅板表裏に刻まれている。江戸時代に現在の大阪府柏原市国分の松岡山から出土したと伝え,その後長く西琳寺に蔵されてきた。墓誌の正確な出土地点や,埋納状況についてはまったく不明であるが,王後の没年埋葬年時からみて,墓誌の中では珍しく土葬に伴った例と考えられている。墓誌の文面によると,船王後は王智仁の孫で,那沛古(なへこ)の子にあたり,敏達天皇の時代に生まれ推古天皇の朝廷に仕えた。舒明朝に勲功を賞せられて大仁の冠位を賜ったという。大仁は,冠位十二階のうち第3番目に相当する。641年(舒明13)12月3日に没し,668年(天智7)12月に夫人の安理故能刀自(ありこのとじ)とともに松岳山(松岡山)に葬られた。この地は,王後の長兄刀羅古(とらこ)の墓所でもあった。王後の祖父としてみえる王智仁は,《日本書紀》などに船氏の祖とされている王辰爾とみられる。王辰爾とその一族は,船,白猪,津の諸氏に分かれ,6世紀後半以降,大和朝廷の中・下級官人として活躍する渡来系氏族で,王後もまた,そのような官歴をたどった一人であったといえる。王後については,この墓誌以外に確実な史料は存在しないが,《日本書紀》推古16年(608)条に,隋の使者を迎える接待役としてみえる〈船史王平〉を,王後とみる説がある。王後の没年と埋葬の年代に20年以上の隔りがあるのは,668年に夫人と合わせて改葬されたためであろう。墓誌の製作年代は,668年をあまり下らないころとみるのが通説であるが,墓誌の文中に,8世紀以降一般化する〈官位〉の語を用いていることや,《日本書紀》のみに用例のある〈娑〉〈沛〉などのかなの存在から,8世紀初頭前後に追納された可能性も考えられる。長さ29.7cm。国宝
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世界大百科事典(旧版)内の船王後墓誌の言及

【船王後墓誌】より

…飛鳥時代の官人,船王後の墓誌。船は〈ふな〉ともよむ。文中,668年に相当する〈戊辰年〉の年紀があり,現在までに発見されている墓誌の中では,最古の紀年を有する。文字は鍛造の銅板の表裏に刻まれている。江戸時代に現在の大阪府柏原市国分の松岡山から出土したと伝え,その後長く西琳寺に蔵されてきた。墓誌の正確な出土地点や,埋納状況についてはまったく不明であるが,王後の没年や埋葬年時からみて,墓誌の中では珍しく土葬に伴った例と考えられている。…

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