角田宿(読み)かくだしゆく

日本歴史地名大系 「角田宿」の解説

角田宿
かくだしゆく

[現在地名]角田市角田 町

角田本郷の中心部を占める町場で、角田要害の館下町。慶長三年(一五九八)角田に入った石川氏は阿武隈川左岸の氾濫原に館下町を建設するため、水除土手の工事から着手した。元和三年(一六一七)頃にはほぼ建設を終えたとみられ、立町たちまち本町もとまち中町なかまち天神町てんじんまち新町しんまち等が成立していたらしい。しかし、寛永六年(一六二九)・八年の二度にわたる大火を機に家中屋敷・町屋敷の割直しを行わねばならず、同一四年の大洪水では一帯水浸しとなった。同一六年からは角田本郷から江尻えじり村に至る堤防工事を行い、ようやく阿武隈川の氾濫から免れることになった。町場は要害の北方から東方にかけて、街道に沿って鉤形に北から天神町中町本町が置かれた。天神町は長さ二町五七間、中町は長さ四町二五間、本町は長さ三町三間。そのほか石川氏の家中屋敷小路一六町があった(安永八年「石川大和分風土記書出」大寺正賢家文書)。延宝(一六七三―八一)頃のものと推定される角田要害絵図(仙台市博物館蔵)によれば、要害屋敷の周囲を谷地やちが取巻き、南西沼小屋ぬまごや、南へ延びる道の西側に南町みなみまち、東側に東南町ひがしみなみまちがある。要害北側の天神町西側には北町きたまち、東側本町の南端には東町ひがしまち川辺町かわべまちが続く。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報