角田市(読み)カクダシ

デジタル大辞泉 「角田市」の意味・読み・例文・類語

かくだ‐し【角田市】

角田

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「角田市」の解説

角田市
かくだし

面積:一四七・六四平方キロ

県南端近くに位置し、中央を阿武隈川が北へ流れ、小田おだ川・高倉たかくら川・尾袋おぶくろ川・うち川などの小河川が合流する。中央部は角田盆地(伊具盆地)で、西は阿武隈高地北東部の丘陵、東は同高地から分岐した亘理わたり丘陵で限られる。南北に国道三四九号が走り、中心部角田で西に国道一一三号が分れる。東は亘理郡亘理町・山元やまもと町、北は柴田郡大河原おおがわら町・柴田町、西は白石しろいし市、南は伊具いぐ丸森まるもり町に接する。阿武隈川を挟んで東側を東根ひがしね、西側を西根にしねという呼称が中世からみられ、また東岸地区を隈東わいとう、西側地区を隈西わいせいともよぶ。

〔原始・古代〕

南から北に流れる阿武隈川流域の河岸段丘、それに市域東西両側に南北に延びる丘陵台地に遺跡が分布する。縄文時代の遺跡は四〇ヵ所で、淡水産シジミを主とし多少の海産貝が混入する縄文早・前期の貝塚が土浮どぶたて平口ひらぐち花島はなしま(別称川端)と角田盆地北部の阿武隈川流域沿いに形成され、これは柴田町上川名かみかわな松崎まつざき館前たてまえ金谷かなやなどの槻木つきのき貝塚群とともに海進海退を示す。また、県内でも貴重な縄文後期竪穴住居跡と多数の墓壙・遺物が発見され、花粉分析による環境復原が実施されたおかの国指定史跡梁瀬浦やなせうら遺跡(中―晩期)、ほかに縄文中期竪穴住居跡が発見されている角田の田袋たふくろ遺跡(前・中期)尾山の荒町おやまのあらまち遺跡(中・後期)もある。島田しまだ今泉いまいずみ遺跡(中期)、角田ではおいさき遺跡(中―晩期)鱸沼すずきぬま遺跡(弥生期も含む)打越うちこし遺跡、高倉にも晩期の呉服屋ごふくや遺跡などがある。弥生時代の遺跡は東北南部の大泉式期の人面土器、石包丁、炭化米など多量の遺物を出土した鱸沼遺跡で代表され、角田盆地での水稲耕作が弥生中期から開始されていたことを立証する。しかしほかには老ヶ崎・梁瀬浦の各遺跡など計四ヵ所が知られるだけである。

古墳時代に入ると、阿武隈川流域の広大な低湿地帯での生産活動の定着と展開によってか、多数の遺跡、とくに高塚古墳・横穴古墳が盆地周辺に出現し、「国造本紀」に記載された「伊久国造」に関連して注目される。阿武隈川の左岸(隈西)には、主軸約六六メートルの前方後円墳よしうち古墳を主墳とし、延長約二キロに及ぶ丘陵尾根上に築造された六十数基の横倉よこくら古墳群と、角田市街の西方の長泉寺ちようせんじ古墳群が存在し、また南西の鱸沼丘陵上には埴輪をめぐらせた箱式石棺の埋葬施設をもつ、五世紀後半造営と考えられる鱸沼古墳群がある。また、隈東地区にも高塚古墳が密集する。島田の館島田たてしまだ古墳・山中やまなか古墳群・今泉古墳などであり、巨大な横穴式石室をもつ尾山の大久保おおくぼ古墳である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「角田市」の意味・わかりやすい解説

角田〔市〕
かくだ

宮城県南部,阿武隈川中流域にある市。 1958年市制。白石市の東に位置し,角田盆地の北半分を占める。伊達氏の一門石川氏の城下町として発展。落ち着いた城下町の雰囲気が残る。農村部では米,野菜,果樹を産し,畜産も行なわれる。高倉にある高蔵 (こうぞう) 寺阿弥陀堂は,平安時代末期の建立と伝えられ,特別保護建造物に指定。本尊の阿弥陀如来は重要文化財。阿武隈急行が通り,基幹道路 (国道 113号,349号線) が整備され,弱電気,自動車部品工場などが立地。宇宙航空研究開発機構角田宇宙推進技術センターがある。面積 147.53km2。人口 2万7976(2020)。

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