西町浜(読み)にしまちはま

日本歴史地名大系 「西町浜」の解説

西町浜
にしまちはま

[現在地名]博多区奈良屋町ならやまち神屋町かみやまち

古渓こけい町・奥小路おくしようじ町の通りの北方東西に走る通り(大浜の通り)に面する両側町。西は西方寺前さいほうじまえ町の通りに画され、東は西町・釜屋番かまやばんの通りを境に市小路町浜いちしようじまちはまが続く(福岡博多近隣古図)大浜おおはま四町の一つ。当町および市小路町浜・浜口町浜はまぐちまちはま竪町浜たてちようはま大浜四町は「続風土記」「石城志」「続風土記拾遺」では新町流の内。しかしこの四町はのち浜流(大浜流)として一流を形成し、新町流から分れたとみられる(慶応二年博多店運上帳など)。大浜の通りの北に並行してもう一本の道が通り、道の北方には浜(大浜・博多大浜)が広がっていた(前掲近隣古図)。元禄三年(一六九〇)の家数六一(続風土記)。明和三年(一七六六)の家数六三・間数一七五間余(石城志)。慶応二年(一八六六)には家数四七(博多店運上帳)。産神は櫛田宮(続風土記拾遺)。貞享四年(一六八七)網屋中から「西町浜出口」に恵美須えびす堂建立の願いが出され、二尺四方での建設が許可されている(津要録)

元文二年(一七三七)七月、福岡藩は従来の町並券帳に入っていない地で、波打際を除いた大浜四町の空地(博多大浜空地)を一坪七厘の地主銀(地代)所望の諸士・職人・町人に与え、地主銀地になったうえは商売勝手次第との触を福岡・博多両市中に出している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報