大浜(読み)おおはま

日本歴史地名大系 「大浜」の解説

大浜
おおはま

[現在地名]雄勝町大浜

小島おじま浜の東方、雄勝半島の南側にあり、雄勝湾に南面する漁村正保郷帳に村名がみえ、畑五七三文のみで柴山と注される。「封内風土記」では戸数二一、塩焼場・釜一区。文政一一年(一八二八)の田三二文・畑一貫二〇七文、人頭二八人、人数一三九(「桃生南北本吉南方風土記」及川徳松家文書)。嘉永三年(一八五〇)の高一貫九三九文のうち六〇一文が給所で馬二・船三七、産物は鰯、鰮、ナマコなど。ほかに塩蔵一棟があった(風土記御用書出「雄勝町史」所収)

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百科事典マイペディア 「大浜」の意味・わかりやすい解説

大浜【おおはま】

三河国碧海(あおみ)郡の港町で,現在の愛知県碧南(へきなん)市浜寺(はまでら)町付近にあった。油ヶ淵(あぶらがふち)が入江であった慶長(1596年−1615年)以前の大浜郷は半島状をなし,海上交通の要地であった。1421年の称名寺文書によれば,問丸(といまる)が所在し,大小の船が入港する材木の集散地であった。《富士歴覧記》《東国紀行》など紀行文からも尾張・伊勢と三河の交通路にあたっていたことが知られ,織田信長はしばしば当地を攻め,徳川家康も砦を築いたとされる。江戸時代は年貢米輸送の基地となり,産出品の積出港としても栄えた。1635年幕府代官が指定した碧海・幡豆(はず)・宝飯(ほい)3郡の5ヵ所湊の一。商圏は三河湾一帯から伊勢湾沿岸,さらに江戸・大坂に及んだ。1798年には廻船8艘が所属,米や酒(三州酒),瓦,繰綿などが江戸に積み出された。1836年改めの三河の下り酒のうち,碧海郡の分3万2112石余の大部分大浜湊から積み出されている。江戸からの帰り荷は大豆・小豆干鰯(ほしか)・〆粕(しめかす)・魚油など。明治に入ってからも商港として栄えた。
→関連項目沼津藩

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改訂新版 世界大百科事典 「大浜」の意味・わかりやすい解説

大浜 (おおはま)

三河国(愛知県)碧海郡の港町。海運の要地として室町時代からその名をあらわし,応永(1394-1428)ごろの称名寺文書によると,当時問丸の所在地であり,大小の船が入港して材木の集散地となっていたことが知られる。尾張,伊勢と三河の交通路にあたっていたことも,中世の紀行文に記されている。戦国大名は戦略上の要地として重視した。江戸時代には年貢米輸送の基地として利用され,多くの商品の積出港として栄えた。1635年(寛永12)碧海・幡豆・宝飯3郡の港として幕府の代官が指定した5ヵ所湊の一つ。1798年(寛政10)廻船8艘が所属。多量の酒とともに商い米,瓦,繰綿などが江戸積みされた。1836年(天保7)改めの三河の下り酒のうち碧海郡の分は3万2112石余,その大部分が大浜から積み出された。江戸からの帰り荷には大豆,小豆,干鰯(ほしか),〆粕(しめかす),魚油,空樽などがある。明治に入っても商港として栄えた。1948年周辺町村と合体し碧南市となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大浜」の意味・わかりやすい解説

大浜
おおはま

愛知県南部,碧南市の中心市街地の一部。旧町名。衣浦湾に面して,鉄道開通前は江戸海運の港町として隣接の棚尾とともに栄え,1900年頃の人口は 5000人以上で刈谷,知立,安城をしのいでいた。海運を背景に,酒,味醂,味噌の醸造業や織布業が発達した。現在は伝統の醸造業のほか,棚尾とともに機械部品・水道用器具製造業が行われる。 57年の重要港湾指定以後,衣浦臨海工業地域の埋立て造成の中心地。ステンレスなどの工場や自動車専用埠頭がある。衣浦海底トンネルで対岸の半田と結ばれている。

大浜
おおはま

静岡県南西部,掛川市南東部の旧町域。 1973年城東村と合体して大東町となり,2005年掛川市,大須賀町と合体して掛川市となった。遠州灘に臨む砂丘地とその北側の菊川沖積地とに区別された。先進的農業地域で,砂丘開発は江戸時代から始められた。

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防府市歴史用語集 「大浜」の解説

大浜

 1764年に萩藩の資金でつくられた塩田ですが、高潮のため、土手がこわれてしまい、修理が完成したのは1767年になってからです。防府では最大の塩田で、海水が塩田の周囲をめぐるように水路がありました。

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世界大百科事典(旧版)内の大浜の言及

【碧南[市]】より

…市内中央部の洪積台地上に集落が発達し,東部の矢作川沿岸と北部の油ヶ淵周辺には近世の干拓新田が展開している。衣浦(きぬうら)湾に面する大浜は,室町時代から港町として開かれ,近世には江戸廻船の基地にもなった。当時,江戸に搬出されていた三州瓦,みりん,鋳物は現在も伝統工業として盛んに生産されている。…

※「大浜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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