西方寺前町(読み)さいほうじまえまち

日本歴史地名大系 「西方寺前町」の解説

西方寺前町
さいほうじまえまち

[現在地名]博多区古門戸町こもんどまち奈良屋町ならやまち

浜小路はましようじ町から浜側(北)に延びる南北道に沿う両側町。南は古渓こけい町と妙楽寺前みようらくじまえ町の通り、北は西町浜にしまちはまの通りを経て海浜に至る。中ほどから東に入る横道芥屋けや町がある(福岡博多近隣古図)。西方寺前町絵図(櫛田神社蔵)では東側は西方寺(現浄土宗)・西方寺抱地が占め、家並は主として西側に形成されており、海浜側に町中および次八(治八)ら町人抱の畠地(一五〇坪余)、その北に御船方の加子屋敷二区画がある。町名は西方寺があることに由来(石城志)。「続風土記附録」「続風土記拾遺」には「此町の海浜に加子屋敷といふ所あり。袋町一町也」とある。元禄三年(一六九〇)には西方寺前町の家数二五、西方寺前町下の家数一七(続風土記)。明和三年(一七六六)の西方寺前町の家数四七・間数一三二間余(石城志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報