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西園寺実兼(読み)さいおんじさねかね

改訂新版 世界大百科事典 「西園寺実兼」の意味・わかりやすい解説

西園寺実兼 (さいおんじさねかね)
生没年:1249-1322(建長1-元亨2)

鎌倉後期の公卿西園寺公経曾孫。1269年(文永6)祖父実氏死去の後を受けて関東申次(もうしつぎ)となって朝幕間に重きをなし,皇位継承をめぐる大覚寺統持明院統との対立にも深く関与した。従一位,太政大臣に栄進し,後西園寺入道相国と号した。実兼はまた京極派歌人としても知られ,《玉葉和歌集》にも多くの作品がとられている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

関連語 山本

日本大百科全書(ニッポニカ) 「西園寺実兼」の意味・わかりやすい解説

西園寺実兼
さいおんじさねかね
(1249―1322)

鎌倉後期の公卿(くぎょう)。父は太政大臣(だいじょうだいじん)公相(きんすけ)、母は大外記(だいげき)中原師朝(もろとも)の女(むすめ)。1269年(文永6)に関東申次(もうしつぎ)となり、娘を伏見天皇中宮(ちゅうぐう)(永福門院)とするなど、持明院統を支えた。しかし京極為兼(きょうごくためかね)との対立から大覚寺統に接近、後二条天皇の即位を実現させ、娘を亀山院の後宮(こうきゅう)に入れた(昭訓門院)。その後、後醍醐(ごだいご)天皇の即位に尽力し、娘を中宮(後京極院)とした。1322年(元亨2)幕府の了承を得て孫の実衡(さねひら)に関東申次を譲った。京極派の歌人、琵琶(びわ)の名手としても知られる。

[市沢 哲]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西園寺実兼」の解説

西園寺実兼 さいおんじ-さねかね

1249-1322 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
建長元年生まれ。西園寺公相(きんすけ)の子。母は中原師朝の娘。文応2年従三位,文永6年関東申次(もうしつぎ)となり,持明院統と大覚寺統との間の皇位継承問題に関与。正応(しょうおう)2年内大臣,4年太政大臣となり,5年辞任。正和(しょうわ)4年子の公衡(きんひら)の死により関東申次に再任,鎌倉幕府両統迭立(てつりつ)の提議(文保(ぶんぽう)の和談)にかかわった。従一位。京極派の歌人,琵琶(びわ)の名手としても知られる。元亨(げんこう)2年9月10日死去。74歳。後西園寺入道相国と称された。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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