幽王(読み)ユウオウ

デジタル大辞泉 「幽王」の意味・読み・例文・類語

ゆう‐おう〔イウワウ〕【幽王】

[?~前771]中国王朝第12代の王。在位、前782~前771。姓名姫涅きでつ。寵妃褒姒ほうじへの愛におぼれて申皇后太子を廃し、褒姒を正后、その子を太子としたため、犬戎けんじゅうの力を借りた外戚の申侯に攻められ、驪山りざんで殺された。

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精選版 日本国語大辞典 「幽王」の意味・読み・例文・類語

ゆう‐おう イウワウ【幽王】

中国周第一二代の王(在位前七八二━前七七一)。姓名姫涅(きでつ)。皇后、太子を廃して、寵姫褒姒を皇后にし、その子を太子とした。褒姒を笑わせるため、たびたび平時烽火(のろし)をあげて諸侯を集めるなど放恣をきわめ、犬戎の力を借りた外戚の申侯に殺された。前七七一年没。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「幽王」の意味・わかりやすい解説

幽王
ゆうおう
(?―前771)

中国、周王朝第12代の王(在位前782~前771)。名は(せい)または涅(でつ)。第11代宣王の子。西周王朝を滅亡に導いた悪王とされる。褒姒(ほうじ)を寵愛(ちょうあい)し、申皇后および太子宜臼(ぎきゅう)(平王)を廃し、褒姒の子、伯服を太子としたことから、諸侯に背かれ、申侯と犬戎(けんじゅう)の軍に驪山(りざん)のもとで襲殺されたという。おそらく西周末年、王室が衰え、諸侯や貴族勢力が強大となり、政権争いの激化するなかで幽王の失政が生じ、西周王朝が滅びたのであろう。

[宇都木章]

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改訂新版 世界大百科事典 「幽王」の意味・わかりやすい解説

幽王 (ゆうおう)
Yōu wáng

中国,西周の末王。在位,前781-前771年。本名は姫宮涅(ききゆうでつ)。父の宣王の中興のあとをうけて即位したが,地主化した貴族層の勢力があなどりがたく,周辺民族の進攻もあって,王権は昔日の勢いを失っていた。即位以来,天変地異が重なり,とくに褒姒(ほうじ)を寵愛して皇后の申后を追ったことが貴族層の背反を決定的にした。申后の父の申侯が異民族犬戎の援助を得て王を攻め,幽王は驪山(りざん)で殺されたとされる。貴族たちはその太子の平王を立てて東周王朝を開くことになる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「幽王」の意味・わかりやすい解説

幽王
ゆうおう
You-wang; Yu-wang

中国,第 12代の王 (在位前 781~771) 。西周最後の王。姓名は姫せい (きせい) ,姫涅 (きでつ) 。宣王の子。褒じ (ほうじ) を寵愛し,申侯の娘である正夫人の申后とその子太子宜臼 (ぎきゅう) を廃して,褒じを正夫人とし,その子伯服を太子とした。幽王は敵襲を知らせるためののろしを上げては諸侯を集めて褒じを笑わせたりしたため,申侯がそむいて犬戎とともに攻めたとき,諸侯は集らず,ついに幽王は驪 (り) 山のふもとで殺されたという。後世,愚王の典型とされる。太子宜臼は平王となり,東遷して洛邑に都をおいたので,これ以後を東周と呼んだ。

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世界大百科事典(旧版)内の幽王の言及

【周】より

…厲王の死後,子の宣王が即位し,一時王室の力を再興し,南進を企て,北方の蛮族の南下を阻止したが,王権の強化を急ぎ,再び貴族の不信を招いた。次の幽王は失政が多く,そのうえ,申皇后と太子宜臼を廃して,愛妾褒姒(ほうじ)を皇后,その子伯服を太子にしたため,前771年内乱が起き,その機に南下した北の犬戎によって幽王は殺され,周王朝は滅亡した。もとの太子宜臼は東の成周に逃れ,前770年即位して平王となった。…

【褒姒】より

…中国,西周の末王,幽王の妃。幽王は彼女を寵愛したために国を滅ぼしたとされる。…

※「幽王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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