犬戎(読み)けんじゅう

精選版 日本国語大辞典 「犬戎」の意味・読み・例文・類語

けん‐じゅう【犬戎】

〘名〙 古代中国の異民族、西戎(せいじゅう)一種族。殷、周および春秋の各時代にわたって中国の北西部、陝西省付近に住み勢力をふるったが、戦国時代になり、秦に圧迫されて衰えた。犬夷昆夷とも呼ばれた。畎戎(けんじゅう)
太平記(14C後)二二「子孫相続て戎国を保ちける間、之に依って彼国を犬戎国とぞ申ける」 〔春秋左伝‐閔公二年〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「犬戎」の意味・読み・例文・類語

けん‐じゅう【犬×戎】

古代中国の西戎せいじゅうの一。いん春秋時代陝西せんせい方面で勢力を振るったが、に圧迫されて衰えた。犬夷けんい昆夷こんい

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「犬戎」の意味・わかりやすい解説

犬戎 (けんじゅう)
Quǎn róng

中国,陝西,山西河北に居住し周と抗争した異民族。玁狁けんいん)もその別名。はじめ周に服属していたが康王のころ離反し,穆王(ぼくおう)が西征して五王を太原に移してから侵略が激しくなった。宣王討伐は成果を収めたが,その子幽王が失政すると,前771年申侯と連合して王を攻め殺し,渭水・涇水の間に跳梁した。このため平王は洛邑に遷都した(周の東遷)。戦国期に入ると衰退し,新興匈奴に吸収されたらしい。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「犬戎」の意味・わかりやすい解説

犬戎
けんじゅう

中国古代の西方民族(西戎)の一種。畎戎(けんじゅう)、犬夷(けんい)、昆夷(こんい)などともよばれた。殷墟(いんきょ)出土の卜辞(ぼくじ)には犬侯、犬方と記されている。殷・周時代の鬼方、玁狁(けんいん)と同種であるという説もある。周族の付近にいたらしく、文王や穆(ぼく)王に討伐されたと伝えられる。周王室の力が衰えるとふたたび活動を始め、西周末の幽王は申侯と犬戎の軍によって滅ぼされた。東周時代に犬戎は涇水(けいすい)、渭水(いすい)の間に進出して周室を脅かしたが、秦(しん)の討伐を受けてしだいに衰え、紀元前8世紀中ごろ、春秋時代の初めに滅亡したと考えられる。

[宇都木章]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「犬戎」の意味・わかりやすい解説

犬戎
けんじゅう
Quan-rong; Ch`üan-jung

中国,古代に陝西,山西方面にいた部族。西戎の一種。しばしば『国語』『左氏伝』などの古典にその名がみられる。特に西周末期に威をふるい,西周の幽王を殺したため,は東の洛邑に都を移すにいたったという。のちの匈奴であろうとする説もある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「犬戎」の解説

犬戎
けんじゅう

周代に侵入した西方異種族の一種。獫狁 (けんいん) ・昆夷 (こんい) ともいう
前771年周はこの侵入を受け,幽王は殺され,前770年,平王は都を東の洛邑に移した(東周)。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「犬戎」の解説

犬戎(けんじゅう)
Quanrong

周代に陝西(せんせい),山西の山地にいた遊牧系の非漢族。前770年周都鎬京(こうけい)を襲って幽王を殺し,西周を滅ぼした。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android