日本歴史地名大系 「藤根城跡」の解説 藤根城跡ふじねじようあと 島根県:邑智郡羽須美村木須田村藤根城跡[現在地名]羽須美村木須田藤掛(ふじかけ)山(標高三五八メートル、比高一五〇メートル)の頂上を削平して本丸とし、中央に土壇を設けた山城。峻険屹立した地形を利用し、北西に二の丸を置き、四方に延びる尾根にそれぞれ六段から一〇段の階段状の郭を設け、要所を空堀・竪堀で固め、西側背後は自然の鞍部を大きく堀切で画している。藤掛城ともいう。初代城主高橋九郎左衛門師光(英光)は備中松山(まつやま)城(現岡山県高梁市)城主高橋氏の一党とされ、駿河国高橋(たかはし)(現静岡県清水市)の大宅氏末流と伝える(由比町史・石見誌)。足利尊氏に仕え、正平五年(一三五〇)高師泰の部将としてその軍に従って青杉(あおすぎ)城(現邑智町)に佐波善四郎を攻め、江川において毛利小太郎と渡河先陣を競い(「太平記」巻二八)、その功により阿須那(あすな)三千貫を領したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報