菱池沼(読み)ひしいけぬま

日本歴史地名大系 「菱池沼」の解説

菱池沼
ひしいけぬま

菱池沼の範囲を天保郷帳記載の村からみると、土呂とろ山畑やまばた高須たかす萱園かやぞの永井ながい上地うえじ(現岡崎市)坂崎さかざき久保田くぼた高力こうりき大草おおくさ北鷲田きたわしだ・鷲田・岩堀いわぼり西脇にしわき上六栗かみむつぐり・六栗・野場のば野崎のざき永井ながいの一九ヵ村が該当する。現在は開発によって池は消滅し地名のみが、池の利用されていた名残をとどめる。中世、矢作川の分流は、はしら若松わかまつ・土呂(現岡崎市)の周辺を河道としていた。しかし応永六年(一三九九)の管領畠山基国から三河国守護一色詮範宛の通達(今川家文書)によると、河道の変化したことが判明する。

<資料は省略されています>

すなわち、六名むつな堤の完成による矢作川の河道変化と、水源地を近距離若松上地・坂崎・長嶺ながみね・大草・おぎ逆川さかさがわ・野場などに有する小河川の土砂堆積湖沼化したものとみられる。また菱池沼の唯一の排水路は広田こうた川のみであった。「土呂山畑今昔実録」によると、一五世紀後半頃の土呂村では「西南北の三方は湖水渺々と湛え白波腰を巻きて麓に数多之船を繋く」とある。土呂には地名として菱田ひしだ、上地には赤菱あかびし、坂崎には船附ふなつき大江おおえなどの湖沼と関連する地名が残る。

近世に入って、小河川が流した土砂の堆積で中州が形成され、丸池が生じたりしている。近世初期、すでに本村居住地から離れた飛地を土呂・山畑・高須・鷲田・岩堀の各村では開発を始めているはずであるが、天正・慶長の両検地では菱池開発地分は除外されている。元和二年(一六一六)に三河代官畔柳寿学が上地川に寿学堤を完成し、正保二年(一六四五)に甘縄藩主松平備前守による丸池まるいけ堤の築工があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の菱池沼の言及

【幸田[町]】より

…東部に遠望峰(とぼね)山,南部に三ヶ根山があり,中央部には北流する広田川の沖積地が広がる。明治初期まで菱池沼があり,江戸時代から開発が進められ,1880年代の干拓工事の完成により,水田地帯となった。東部の台地には古墳群や溜池が点在し,国道248号線沿いに集落が発達,イチゴ,トマトなどの施設園芸や畜産が盛んである。…

※「菱池沼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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