網野(読み)アミノ

デジタル大辞泉 「網野」の意味・読み・例文・類語

あみの【網野】

京都府北部、京丹後市地名丹後半島の付け根にあり、日本海に臨む。はなれ琴引ことびき浜などの景勝地がある。昭和2年(1927)の奥丹後地震でできた郷村ごうむら断層天然記念物

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精選版 日本国語大辞典 「網野」の意味・読み・例文・類語

あみの【網野】

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「網野」の意味・わかりやすい解説

網野
あみの

京都府北西部竹野郡にあった旧町名(網野町(ちょう))。現在は京丹後市(きょうたんごし)の中央西側を占める一地域。1900年(明治33)町制施行。1904年浅茂川(あさもがわ)村、1950年(昭和25)島津、郷(ごう)、浜詰(はまづめ)、木津(きつ)の4村と合併。2004年(平成16)峰山(みねやま)、大宮(おおみや)、丹後、弥栄(やさか)、久美浜(くみはま)の5町と合併、市制施行して京丹後市となる。なお、この合併により行政地名としての竹野郡はなくなった。旧網野町は、丹後半島西岸に位置し、中央を福田川が流れる。北は日本海に面し、海岸近くに周囲4キロメートルの離(はなれ)湖がある。西部海岸一帯は山陰海岸国立公園の一部に、東部海岸一帯は丹後天橋立大江山(たんごあまのはしだておおえやま)国定公園に含まれる。日本標準時の基準となる東経135度の子午線が通る。京都丹後鉄道宮豊線、国道178号が通じる。早くから開けた地で、縄文、弥生(やよい)時代の浜詰遺跡、林遺跡などがあり、丹後地方最大級の前方後円墳の銚子山(ちょうしやま)古墳は国指定史跡。古代は『和名抄(わみょうしょう)』の網野郷の地。1927年(昭和2)の北丹後地震によって生じた郷村断層(ごうむらだんそう)は国の天然記念物。丹後縮緬(ちりめん)の産地で、木津には温泉(単純温泉)があり、付近の砂丘ではナシ、モモなどの果樹やチューリップ栽培が行われる。琴引浜(ことびきはま)は鳴き砂で有名。国の名勝・天然記念物に指定されている。

[織田武雄]

『『網野町史』(1960・網野町)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「網野」の意味・わかりやすい解説

網野
あみの

京都府北西部,日本海に臨む地区。旧町名。 1900年島津,郷 (ごう) ,木津 (きつ) ,浜詰 (はまづめ) の4村が合体して網野町が成立。 2004年4月,峰山町,大宮町,丹後町,弥栄町,久美浜町と合併し京丹後市となる。中心集落の網野は丹後地方の商業中心地。特産は丹後縮緬。球根採取のためのチューリップや果樹栽培も行なわれる。入江の名残りの自然淡水湖離湖がある。景勝地が多く,西部に木津温泉がある。 1927年の北丹後地震の際生じた郷村 (ごうむら) 断層は天然記念物。日本海沿岸では最大の前方後円墳である銚子山古墳は史跡。山陰海岸国立公園に属する。北近畿タンゴ鉄道宮津線が通る。

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改訂新版 世界大百科事典 「網野」の意味・わかりやすい解説

網野 (あみの)

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