日本大百科全書(ニッポニカ) 「天然記念物」の意味・わかりやすい解説
天然記念物
てんねんきねんぶつ
広義には日本の自然を理解するうえで欠くことのできない自然および自然現象をいい、狭義には文化財保護法によって指定された動物、植物、地質鉱物などをさす。同法では、動物(生息地、繁殖地および渡来地を含む)、植物(自生地を含む)、および地質鉱物(特異な自然の現象を生じている土地を含む)などで、日本にとって学術上価値の高いものを文化財と定義し、その重要なものを指定基準に基づいて天然記念物としている。また、そのうち世界的にまた国家的に価値がとくに高いものを特別天然記念物に指定している。法令上の天然記念物には、文化財保護法に基づいて指定された狭義の天然記念物のほか、地方公共団体の条例によって指定された都道府県および市町村指定天然記念物がある。地方公共団体指定の天然記念物は、通常は天然記念物とはいわず「○○県指定天然記念物」のように表示している。「天然記念物」ということばは、ドイツ語のNaturdenkmalを明治時代末期に訳したものであるが、当時はまだ「自然」ということばを一般には使わず、「天然、天理、造化」といっていたためにこの訳が生まれた。英語訳はnatural monumentであるが、アメリカ合衆国では保護制度上「国家記念物」national monumentといい、文化的記念物も含んでいる。
[品田 穣]
歴史
天然記念物(前述のドイツ語Naturdenkmal)の語は、1800年にドイツのA・von・フンボルトが南アメリカを旅行した際に、1本の巨大な木をさして初めて使っている(『新大陸の熱帯地方紀行』)。しかし、ことばとしての定着をみたのは、農牧時代とは異質の自然破壊が累積してきた19世紀後半になってからである。自然の保護が問題になってきたのは、イギリス、アメリカ、ドイツの先進三国がほぼ同時期であるが、そのなかでもプロイセン(現在のドイツ)がもっとも早く、ここでは郷土愛のシンボルとして天然記念物の保護が叫ばれた。1906年に発足した「プロイセン天然記念物保護管理国立研究所」の活動原則第2条によると「天然記念物とは、とくに特色ある郷土の自然物をいう。とりわけ土地の風景の一部であれ、大地の様相であれ、動植物の類であれ、その本来の場所に存在するものをいう」としている。
日本では20世紀の初め、日露戦争前後のナショナリズムの高まりと、重工業を中心とした産業の発展、それに伴う道路・鉄道などの産業基盤整備の段階での都市近郊の自然破壊を背景に、ドイツの天然記念物保護運動に刺激されて発生した。1907年(明治40)東京帝国大学教授の三好学(みよしまなぶ)(植物学)は雑誌に「天然記念物保存の必要竝(なら)びに其(その)保存策に就(つい)て」と題した一文を載せ、天然記念物の保存を訴えた。三好学らの提唱は、貴族院議員徳川頼倫(よりみち)(1872―1925)らの支援を得て、1911年「史蹟(しせき)及天然記念物保存ニ関スル建議案」として国会に提出され、衆・貴両議院で可決された。その後、「史蹟名勝天然紀念物保存協會」が設立され、同協会が中心となった運動で世論を喚起し、1919年(大正8)に徳川頼倫ほか6人の発議による「史蹟名勝天然紀念物保存法」が国会で成立し、その保護法制が整った。その後同法は1950年(昭和25)、法隆寺金堂の焼失を契機に制定された文化財保護法に継承され、現在に至っている。
[品田 穣]
近年の動向
第二次世界大戦後の自然破壊により、日本の自然は単純化してきたといわれる。このため、自然に依存している動植物は二つの方向に分かれて変化しつつある。一つは破壊により急速に衰減化する方向で、もう一つは単純化した自然に適応してときには爆発的に増加する方向である。後者はしばしば農作物被害を通して人間生活との軋轢(あつれき)を生み問題となることがあり、このため天然記念物の保護はとくに困難の度を加えつつある。また、自然の破壊の進展に対応して自然に対する社会的要請にも変化が生じている。かつてはどこにでもみられた天然林に文化財的価値が生じ、その保護に力が入れられているのはその一例である。
指定された天然記念物については、文化財保護法第125条で、指定物件の現状の変更および保存に影響を及ぼす行為は文化庁長官の許可を要することとし、罰則も5年以下の懲役もしくは禁錮などと、この種の文化法としては重い罰則を設けている。こうした規制のほか、保護・増殖や自然回復などの措置を講じている。
[品田 穣]
おもな天然記念物
2019年(平成31)3月1日の時点で、国指定の天然記念物は1030件(うち特別天然記念物は75件)であり、種類別指定件数でみると、動物196件(うち特別天然記念物21件。以下同)、植物555件(30件)、地質鉱物256件(20件)、天然保護区域23件(4件)となっている。そのおもなものは次のとおりである。
[品田 穣]
動物
日本固有種で著名なものには、たとえばアマミノクロウサギ、ヤマネ、アホウドリ、メグロ、オオサンショウウオなどがあり、固有ではないがタンチョウ、コウノトリなど日本周辺に分布が限られているものもよく知られる。また、貴重な生物群集として、鹿児島県のツルおよびその渡来地や数か所のゲンジボタル発生地、千葉県鯛ノ浦(たいのうら)のタイ生息地、岡山県笠岡(かさおか)のカブトガニ繁殖地などがある。このほか宮崎県都井岬(といみさき)の岬馬(御崎馬)およびその繁殖地、山口県萩(はぎ)市の見島(みしま)ウシ産地、土佐のオナガドリなどの家畜・家禽(かきん)やカササギ、シラコバトなどの帰化種も含まれている。
[品田 穣]
植物
この分野では、日本古来の自然を示す原始林、たとえば住宅地の中に島のように残された札幌の円山(まるやま)原始林、藻岩(もいわ)原始林、奈良の春日山(かすがやま)原始林や、原始林がすでにみられない地域での社叢(しゃそう)のように原始林のおもかげを残すもの、たとえば暖帯林としてわずかに残った富山県の宮崎鹿島(かしま)樹叢などがある。特殊な立地のもとで発達した高山植物帯・湿原、特殊岩石地植物群落などでは、たとえば長野・新潟・富山県の白馬連山(しろうまれんざん)高山植物帯、長野県の霧ヶ峰湿原植物群落、愛知県の石巻山(いしまきさん)石灰岩地植物群落など失われつつある自然の断片として貴重なものがある。このほか、代表的な原野植物群落、海岸植生、洞穴に自生する植物群落、分布の北限や南限など生育限界を示すもの、また自然界の驚異を示す大木、奇木、珍木、並木などの指定も多い。
[品田 穣]
地質・鉱物
この分野では、国土の歴史を示す証拠となるような地層の褶曲(しゅうきょく)や断層、特異な地層、たとえば1891年(明治24)の濃尾(のうび)地震の際の根尾谷(ねおだに)断層(岐阜県)や、隆起・沈降現象を生々しく示す秋田県の象潟(きさかた)や神奈川県諸磯(もろいそ)の隆起海岸などがあるほか、地形を変える営力を示す侵食現象の代表的なものとして、岐阜県飛水峡(ひすいきょう)の甌穴(おうけつ)群、和歌山・三重・奈良県の瀞八丁(どろはっちょう)、新潟県の清津峡(きよつきょう)などがある。また、氷河遺跡として代表的なものに富山県薬師岳の圏谷(けんこく)群があり、大量の地下水が湧出(ゆうしゅつ)する静岡県白糸ノ滝などは水の循環を示すものの例で、石灰岩地形としては山口県の秋芳洞(あきよしどう)や秋吉台などがある。このほか、北海道の昭和新山などの火山や、岩石や鉱物の産地、さらに魚竜などの化石産地やエゾミカサリュウなどの標本も指定されている。
以上の動物、植物、地質鉱物のほかに、それらを包括的に指定した天然保護区域があり、長野県の上高地、福島・群馬・新潟県の尾瀬、北海道の釧路(くしろ)湿原などが指定されている。
[品田 穣]
絶滅と保護
天然記念物のなかには、すでに絶滅したものや、絶滅の危機に瀕(ひん)し保護の成果がまたれるものがある。それらは次のようである。
[品田 穣]
絶滅した天然記念物
第二次世界大戦中にウシウマ(鹿児島)が絶滅し、このほかにキタタキ(対馬(つしま))が1923年(大正12)の指定当時から確認されず絶滅したとみられる。これらは指定を解除されている。また、ニホンカワウソも、1979年(昭和54)を最後に生息を確認できないことから、絶滅したものと考えられている。
[品田 穣]
絶滅に瀕している天然記念物
トキ、コウノトリ、アホウドリなどである。1属1種の特産種トキ(絶滅危惧(きぐ)ⅠA)は国際保護鳥にも指定され、その回復は世界の注視の的である。コウノトリは兵庫県立コウノトリの郷公園(さとこうえん)を拠点とした野生復帰計画が進行中である。また、タンチョウは、一時二十数羽になったが、冬季の給餌(きゅうじ)に成功し、1952年北海道の調査で33羽だった観察数は、1980年代には300羽に達するまでに回復した。2012年(平成24)1月の調査では1143羽が観察されている。
[品田 穣]
『文化財保護委員会編『特別史跡名勝天然記念物図録』(1963・第一法規出版)』▽『児玉幸多・仲野浩編『文化財保護の実務』(1979・柏書房)』▽『文化庁文化財保護部監修『天然記念物事典』(1981・第一法規出版)』▽『文化庁編『史跡名勝天然記念物指定目録』(1984・第一法規出版)』▽『加藤陸奥雄・沼田真・渡部景隆・畑正憲編『日本の天然記念物』全6巻(1984・講談社)』▽『『自然紀行 日本の天然記念物』(2003・講談社)』▽『増井光子・蒔田明史監修『日本の特別天然記念物――トキ、カワウソ、マリモ…自然の宝75』(2006・JTBパブリッシング)』