日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹後半島」の意味・わかりやすい解説
丹後半島
たんごはんとう
京都府北西部、日本海に向かって塊状に突出する半島。奥丹後半島、与謝半島(よさはんとう)ともいう。北東端の経(きょう)ヶ岬には76万燭光(しょっこう)の経ヶ岬灯台がある。半島はおもに花崗(かこう)岩と第三紀層からなり、また北東―南西、北西―南東に走る断層が交差し、地殻運動の激しかったことを示している。1927年(昭和2)には北丹後地震が発生し、大きな被害を受けた。一般に山がちで平地に乏しく、冬は積雪が多く、交通も不便なので、奥地では過疎化が著しく、すでに廃村となった集落もある。しかし冬の余剰労働力を利用して、古くから半島全域で農家の副業として機業が盛んであり、京丹後市の峰山(みねやま)町、網野(あみの)町を中心に丹後縮緬(ちりめん)の産地として知られる。海岸は懸崖(けんがい)をなし、冬の季節風によって漁業も阻まれるが、若狭(わかさ)湾に面する伊根(いね)はブリの好漁場をなし、半島随一の漁港。1962年(昭和37)丹後半島を一周する道路が開通し、風景美に恵まれた観光資源の開発が望まれている。海岸一帯は丹後天橋立大江山(たんごあまのはしだておおえやま)国定公園の一部となっている。
[織田武雄]