納田郷(読み)なつたごう

日本歴史地名大系 「納田郷」の解説

納田郷
なつたごう

三隅町域の西部岡見おかみを中心とする一帯に比定される。益田庄のうち。当地は古代の那賀郡三隅郷に含まれていたと推測されるが、平安末期の益田庄成立に伴って美濃みの郡に組込まれたと考えられる。建仁三年(一二〇三)一二月日の益田兼季申文案(益田家文書)に益田庄内の四ヵ所の一として「納田郷」がみえ、兼季は将軍の代替りにあたって父兼恒より相伝した所領に対する安堵下文の下賜を申請している。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文には美濃郡の庄領として「なつた(納田) 廿三丁五反六十卜」が記されている。当郷は寛喜元年(一二二九)頃益田兼季の弟の三隅兼信に井村いのむら郷、木束きつか郷・永安ながやす別符(現弥栄村)とともに分与され、三隅氏の中核的所領となり(三隅町誌)、兼信の次男兼祐が永安別符を譲与されて永安氏を称したのに伴い(仁治三年一二月二六日「三隅兼信譲状」吉川家文書)、当郷の一部も兼祐に分与されたものと考えられる。嘉暦元年(一三二六)一二月一〇日の石見永安別符以下地頭職分文(吉川家文書)によれば、当郷のうちとして小弥富こいやとみ分・鎌屋かまや大寸津おおすんつ(二丁一反)があげられており、永安氏の所領の半分は兼祐の孫で吉川経茂の妻となった良海のものとなり、さらに当郷の一部は良海を通じて吉川氏に伝領されることとなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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