竜王城跡(読み)りゆうおうじようあと

日本歴史地名大系 「竜王城跡」の解説

竜王城跡
りゆうおうじようあと

[現在地名]五十崎町古田

神南かんなん山麓から北東へ延びる丘陵陳の森じんのもり東端が、小田おだ川の深淵に臨む所、標高一二〇メートル、比高約五〇メートルの丘頂にある城跡。規模は東西一四四メートル、南北六三メートル。内子うちこ市街を間において、北方へ二キロの曾根そね城跡と相対している。

鎌倉初期には河野氏一族の居城、天文年間(一五三二―五五)浮穴うけな大除おおよけ城主大野直昌の弟城戸六郎直安とその子直宗が相次いで城主となったが、曾根城主曾根宣高との間に紛争が起こり、天正七年(一五七九)七月、土佐長宗我部氏の援助を受けた曾根方に攻撃されて落城した(大洲旧記)

竜王城跡
りゆうおうじようあと

[現在地名]下市町大字下市

堀毛垣内ほりけがいとにある城跡。堀池を挟んでそびえる二つの山の手前一つをならして出城とし、その奥の山頂をならして本城としたのが竜王城である。「大和志」に「竜王城在下市村、堀内大炊助所拠」とあるが、堀内氏の後裔にあたる堀田家の前から登ったところにある二つの湧泉は、いずれも山稜鞍部にある堀池とともに籠城の際の水の供給地で、竜王城の名も湧水の豊かなところからきたものと思える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android