竜湫周沢(読み)リュウシュウシュウタク

デジタル大辞泉 「竜湫周沢」の意味・読み・例文・類語

りゅうしゅう‐しゅうたく〔リユウシウシウタク〕【竜湫周沢】

[1308~1388]室町初期の臨済宗の僧。甲斐の人。妙沢とも。夢窓疎石師事臨川寺建仁寺南禅寺天竜寺に歴住。画才文才に富み、水墨画不動尊は妙沢不動と称された。著「随得集」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「竜湫周沢」の意味・わかりやすい解説

竜湫周沢 (りゅうしゅうしゅうたく)
生没年:1308-88(延慶1-元中5・嘉慶2)

南北朝期の臨済宗夢窓派の僧。甲斐の人。武田氏。夢窓疎石の法嗣春屋妙葩(しゆんおくみようは)と並ぶ同派の指導者。慧林寺,建仁寺,南禅寺,天竜寺,臨川寺に歴住。不動明王像の画技によって知られる。妙沢老人とも称した。星宿吉凶の占いに強い関心を持ち,そのことを足利義満にからかわれた逸話がのこっている。著書《随得集》がある。法嗣に在中中淹ら。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竜湫周沢」の解説

竜湫周沢 りゅうしゅう-しゅうたく

1308-1388 南北朝時代の僧。
延慶(えんきょう)元年生まれ。臨済(りんざい)宗。夢窓疎石の法をつぐ。郷里の甲斐(かい)(山梨県)恵林寺をへて,建仁寺,南禅寺,天竜寺の住持。春屋妙葩(みょうは)とならぶ夢窓派の実力者。画僧としても知られ,不動明王像を得意とした。嘉慶(かきょう)2=元中5年9月9日死去。81歳。俗姓は武田。法名は別に妙沢。号は咄哉(とつさい)。

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