福源寺(読み)ふくげんじ

日本歴史地名大系 「福源寺」の解説

福源寺
ふくげんじ

[現在地名]川上村大字高原

高原たかはら集落のほぼ中央、台地上にある。高峰山と号し、曹洞宗本尊釈迦如来。寺伝では役行者開基、聖宝の中興と伝え、建久年中(一一九〇―九九)仁西が再興したという。万治年間(一六五八―六一)まで堂山どうやま(現川上村)にあったが、寛文年中(一六六一―七三)現在地に改築され、城上しきじよう岩田いわた(現奈良県桜井市)慶田けいでん寺八世禅外天生によって曹洞宗に転宗。「多聞院日記」永禄九年(一五六六)四月一日条に「吉野東奥高原たかはらト云所観音堂アリ、役行者ノ作ノ馬頭観音也、其堂ノ天井ニ大師御筆ノ大般若経一部在之、同十六善神在之、疫病ナントニ祈祷ニ十疋ツヽニテ奉出之、奇特在之云々」とみえる。

福源寺
ふくげんじ

[現在地名]鹿島市大字三河内字中川内

円通山と号し、黄檗宗。「鹿島志」に「福源寺は、木庭こば村の西、本庄川の上に在り。仏光国師の遺跡なり。伝へ云ふ仏光西に来りて暫く此の山に駐錫し後関東に赴く、初めは、滴水庵と号せり、(中略)と。此の寺一旦蕪廃して已に久しく、鬱として茂林を成せり。唯往々礎石ありしのみ。黄檗派下の梅嶺禅師偶々来り見て、古墓の湮没を嘆き、意に重興せんことを欲す。家君の泉州刺史に自ら地を求めて、身を修営に委ね、弊衣破笠自ら茅茨を芟り、役夫と倶に遂に小堂を建て、滴水を以て山号と為し、福源寺と名づく。

福源寺
ふくげんじ

[現在地名]養老町室原

室原むろはら集落のほぼ中央部にある。臨済宗妙心寺派。成田山と号し、本尊は木造聖観音立像(寄木造、県指定重要文化財)。創建年代は不詳だが、文明七年(一四七五)の過去帳が伝存する。一時期荒廃していたようであるが、天正三年(一五七五)文華が興し、再興開山となった。寛文一〇年(一六七〇)火災に遭ったが、宝永五年(一七〇八)復興。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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