矢田野村(読み)やたのむら

日本歴史地名大系 「矢田野村」の解説

矢田野村
やたのむら

[現在地名]小松市矢田野町

柴山しばやま潟東方に位置し、西は月見つきみ村・矢田村、北は能美のみ蓑輪みのわ地方・しま村。古代の八田やた郷の遺称地の一つで、八田の野・矢田の野がつまって村名となったという。歌枕の「やた野」を当地とする説がある。大聖寺藩では豊野とよの村・西泉にしいずみ村・なか村・小島こじま村・稲手いなて村・原田はらだ村・大野おおの村・袖野そでの村・宮田みやた村の九村を矢田野九ヵ村と称し、蓑輪地方を入れて矢田野十ヵ村ともよんだ。もとは広大な原野であったが、延宝八年(一六八〇)大聖寺藩の命により広橋五太夫を主任とし、動橋いぶりばし川の水を引き、延長三里に及ぶ矢田野用水(小手ヶ谷用水)を完成させ開発が進んだ。

矢田野村
やたのむら

[現在地名]長沼町矢田野

桙衝ほこつき村の南東江花えばな川南岸の平地丘陵に立地。戦国期二階堂氏一族の矢田野(箭田野)氏が矢田野城に拠った。永禄期(一五五八―七〇)と推定される六月九日の結城晴綱書状(新編会津風土記)に「木崎・矢田野ニ被致在陣候岩城面々」とみえ、当地に在陣の岩城氏が石川氏に通じていると蘆名氏に伝えている。天正一七年(一五八九)一〇月伊達政宗は矢田野一帯へ出動、須賀川城を攻略した(政宗記)。同年一一月二二日の伊達政宗充行状写(伊達家文書)に「下松本やたの抱之通」とみえ、下松本しもまつもと(現天栄村)を含む一七五貫の地を二階堂氏旧臣の保土原行藤に安堵している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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