白井城跡(読み)しろいじようあと

日本歴史地名大系 「白井城跡」の解説

白井城跡
しろいじようあと

[現在地名]子持村白井

利根川と吾妻あがつま川の合流点、吾妻川に接した崖上に立地する丘城。中心の本丸は東西一三〇メートル・南北九五メートルの三角形で北に枡形門がある。その北に二ノ丸(東西二〇〇メートル・南北八〇メートル)、三ノ丸(東西二八〇メートル・南北一五〇メートル)北郭(東西三五〇メートル・南北九〇メートル)と続く。本丸の南には南郭(南北三二〇メートル・幅八〇メートル)新郭(南北二八〇メートル・幅七〇メートル)が並ぶ。この地は越後と関東平野の接点にあたる上杉氏の軍事拠点であり、貞治二年(一三六三)上杉憲顕の上野守護還補ののちに同氏の被官長尾氏が白井に入部、定着したのはこの時期であり、景守か養子景仲の代だったと思われる。築城年代などは不明だが、享徳の大乱の前後、一五世紀半ばではあるまいか。

文明一八年(一四八六)越後から三国峠を越えて上野国に入った尭恵は「白井戸部亭」に泊まり(北国紀行)、長享二年(一四八八)九月には、武蔵鉢形はちがた(現埼玉県大里郡寄居町)をたった京都相国しようこく寺の僧万里集九は角淵つのぶち(現佐波郡玉村町)を経て白井に入り「白井城中」で詩作をし、一泊ののち小山中宿・沼田城へ赴いている(梅花無尽蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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