由良(読み)ユラ

デジタル大辞泉 「由良」の意味・読み・例文・類語

ゆら【由良】

兵庫県洲本市の地名。淡路島の南東部にあって紀淡海峡に面し、古くからの要港。もと安宅・池田氏城下町

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精選版 日本国語大辞典 「由良」の意味・読み・例文・類語

ゆら【由良】

[一] 和歌山県日高郡の地名。紀伊水道の由良湾に面する。もと海部(あま)郡に属し、江戸時代から廻船の寄港する港町として発達
※天正本節用集(1590)「由良 ユラ 紀州」
[二] 兵庫県洲本市の地名。淡路島の南東部にあり、由良瀬戸に面する港町として発達。
[補注]各地に残る「ゆら」(あるいは「ゆり」)という地名は、風が砂をゆり上げてできた地の意であるという。

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日本歴史地名大系 「由良」の解説

由良
ゆら

由良湾に注ぐ由良川の中・下流域をさす。古く「万葉集」に

<資料は省略されています>

などと詠まれる。巻九の歌は大宝元年(七〇一)一〇月、持統文武の紀伊行幸の際のものである。この辺りは、中世、京都蓮華王院領となっていた(吾妻鏡)が、とくに臨済宗法燈派の本山興国こうこく寺の所在地として、また、歌枕由良湊ゆらのみなと由良御崎ゆらのみさきとして多くの歌に詠まれた地として著名。

由良湊は、由良川河口のさと横浜よこはまを中心とする地に比定され、現在も由良港と称されている。古来、紀伊水道航行における要地の一とされてきたが、その詳細は明らかではない。「紀伊名所図会」は近世の様子を「横浜村を挟んで、左右の出岬三十町余海面にさし出で、径は大凡二十町に及べり、其形成譬へば牛の双角を張るに似たり、由良渓川の小流、潺湲として東より来りて、此間に瀉注す。

由良
ゆら

古事記」の仁徳天皇段および「日本書紀」の応神天皇三一年紀には、官船「枯野」についての記載がある。この船が朽ちて破壊された時、船材を薪として塩が焼かれ、焼残った木をもって琴が作られた。この琴の音が遠くまで鳴り響いたことから、天皇は「枯野を 塩に焼き 其が余り 琴に作り かき弾くや 由良の門の 門中の海石に 触れ立つ 浸漬の木の さやさや」と歌った(古事記)

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改訂新版 世界大百科事典 「由良」の意味・わかりやすい解説

由良[町] (ゆら)

和歌山県西部,日高郡の町。人口6508(2010)。町域の大半は紀伊山地西縁の白馬(しらま)山脈の山地で,山が海に迫り,紀伊水道に面してリアス式海岸をなす。中央部を流れる由良川沿いに低地があり,河口部の由良港は天然の良港で,古来,紀伊水道航行の要地とされた。《万葉集》に〈湯羅の崎〉が詠まれ,由良の湊,由良の御崎(みさき)は歌枕としても著名。平安末期には蓮華王院領由良荘が置かれた。鎌倉前期には興国寺(臨済宗法灯派本山)が開創され,開山住持覚心が宋より普化(ふけ)尺八を伝えたことから,虚無僧の本寺ともされた。江戸時代,網代(あじろ)と江奈には紀州藩の二歩口役所が置かれていた。かんきつ類の栽培が盛んで,漁業は一本釣漁やハマチ,ノリなどの養殖が行われる。三井造船由良工場(現,エム・イー・エス由良)も立地し,宅地造成などが進む。町域西端の白崎は美しい石灰岩の岬で,明治以降近年までセメント用に採取されていた門前の北側山麓に中生代ジュラ紀の砂岩の大露出があり,〈門前の大岩〉(天)と称される。紀伊水道に浮かぶ黒島はハマカズラの自生北限地。JR紀勢本線,国道42号線が通じる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「由良」の意味・わかりやすい解説

由良
ゆら

兵庫県淡路島,洲本市東端の集落。旧町名。 1955年洲本市に編入。成ヶ島の砂州に囲まれた由良港をへだてて友ヶ島水道にのぞむ。かつては渡津,城下町として繁栄したが成山にあった城は寛永8 (1631) 年の「由良引け」で三熊山山麓に移転。由良湾は漁港で,ハマチ,真珠の養殖地。成ヶ島の砂州は海水浴場,キャンプ場としてにぎわう景勝地。背後の丘陵斜面はミカンの産地。瀬戸内海国立公園に属する。

由良
ゆら

京都府北部,宮津市東端,栗田 (くんだ) 湾にのぞむ漁業集落。旧村名。 1956年宮津市に編入。由良川の河口にあたり,かつては由良川水運と海運の中継点をなす港町として栄えた。現在は漁業のほか,海岸は海水浴場としてすぐれ,民宿を営む家も多い。

由良
ゆら

長良型軽巡洋艦」のページをご覧ください。

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