日本大百科全書(ニッポニカ) 「発達」の意味・わかりやすい解説
発達
はったつ
生体が受胎してから死に至るまでの間におこる心身の機能や形態の変化のうち、一時的、偶発的なものを除き、長期にわたる系統的、持続的、定方向的な変化を発達という。このように定義された発達は、増大や進歩などの上昇的過程だけではなく、普通は発達とよばないような縮減や退行などの下降的変化をも含むことに注意しなければならない。なお、術語としての発達は、以上のように主として個体の生涯にわたる変化に対して用いられ、また一般用法と異なり、完成・改善・能力向上などのプラスの価値づけはかならずしも含まない。さらにこれを拡張して、個々の集団や組織、あるいは一つの文明の成長の過程などに対しても適用することがある。なおまた、動物から人間への発展といった系統発生的進化の過程や、同じく進化論的な発想に裏打ちされた異常心性から正常性への進展(たとえば、ダウン症はモンゴロイド様顔貌(がんぼう)をもつことから、かつて「蒙古(もうこ)症(モンゴリズム)」とよばれ「ダウン症状は、白人種が蒙古人種へ退行するためにおこる」と解釈された。20世紀なかばに、ダウン症は染色体異常による疾患であることが解明され、上の解釈の誤りは明らかになったが、進化論的病理思想の一例を提供している)、未開から文明への発展の過程などにも、同じく発達という語を適用する。発達心理学はおおむね個体の発達過程を主要な研究対象としているが、後段に触れた、より複合的な発達過程をも個体的変化と同様に研究対象に含めるときは、とくに比較発達心理学とよぶこともある。
[藤永 保]
語義
学術用語としての発達は、development(英語)やEntwicklung(ドイツ語)を原語としている(中国では、発展とか展開などと翻訳されることが多い)。日本語の発達には、あるところから発してある目標に達するという即事的意味が強いのに対して、英語、ドイツ語の原語はいずれも巻物を開いて中身を読む、もつれをほどくといった原義から出て、潜在していた本質が徐々にその姿を現す過程という意味に用いられるに至った。developmentがまた現像とも訳されるのは、現像の過程がこの原義に当てはまるからである。ここから推察されるように、「発達」とは、元来、個体発生の過程が、遺伝その他のあらかじめ生体に仕掛けられたなんらかの機制によって定まっているという観念(先決説または予定説)の表現であることがわかる。「発達障害」という用語が多用されるようになったが、原語はdevelopmental disorderであり、訳語から理解されるような早期に現れる障害という意味合いでは不十分で、素因性の、というニュアンスが示唆されていることに注意しなければならない。発達が、以前は完態に至る上昇的変化だけを表すことが多かったのも、先決説的な完態の観念が著しかったためであろう。しかし、この西欧的な先決説的固定観念も、1950年代以降、世界的に反省の気運にあい、ここから発達研究の新しい展望が急速に開けていった。
[藤永 保]
成熟か学習か
以上の原義からも知られるように、発達研究の一つの基本問題は「遺伝か環境か」にある。しかし、これはすべての生物系科学の基本問題でもあるために、発達心理学ではその系としての「成熟か学習か」が主問題となった。発達心理学用語としての成熟は、神経生理学的な成長の状態またはその過程を意味する。成熟は、それ自身のもつ自生的な法則性によって展開していくため、外部からの影響は受けない。成熟によって各種能力の発現が左右される等と仮定され、子供が1歳過ぎになると歩行や発語が始まるのは、あらかじめ仕組まれた成熟という機制がどの子においてもほぼ一様に展開していくためと説明された。このように、発達(とくに初期発達)はほとんど成熟によって規定されるという考え方を成熟説、また成熟があくまで主役を占めるが、文化的学習も発達のため一役を買うという成熟説の緩和された考え方を成熟優位説とよぶ。成熟優位説は、したがって人間の各種能力の水準はおおかた暦年齢により定まるという考え方をも導く。
成熟優位説を唱導したのはアメリカの小児科医兼発達心理学者のA・ゲゼルであるが、彼はこの説を実験的に確かめるために双生児相互統制法という手法を用いた。これは、一卵性双生児の一方にある技能を訓練する間、他方は無訓練の状態に置き、ついでこの関係を逆にするというもので、一卵性双生児が素質・環境とも一様であることを利用して訓練効果と年齢との関連を検出しようとする独創的な方法であった。ゲゼル学派は、この方法を一組の一卵性双生児に適用し、階段登り、ボタン掛け、積み木、名称習得、数の記憶などの各種の技能について、その獲得にはすべて訓練よりも年齢すなわち成熟の力がより大きな効果を発揮するという結果を得た。これ以来、成熟優位説は発達心理学における不動の前提とみなされるに至った。しかし、1950年代になると、ゲゼルの実験や理論の不備が指摘され、資料の見直しが行われた。また成熟要因のみによって左右されているようにみえる歩行の始期も、アフリカ南部に住む採集狩猟民族のサン人では特殊な訓練法によりはるかに早まっているといった新しい知見などが提供されて、逆に環境の影響や学習の効果が強調されるようになり、前述した発達研究の新しい動向が展開していったとみられる。
[藤永 保]
離巣性と留巣性
成熟優位説に疑問を投げかける根本的事実として、人間の生物学的発達そのものがすでに独自な特徴をもつことがあげられよう。スイスの生物学的人間学者A・ポルトマンは、鳥類で指摘されていた原理を拡張適用して、哺乳(ほにゅう)類の成育の型が2種類に大別されることを主張し、これを「留巣性」(就巣性)および「離巣性」と名づけた。留巣性とは巣にとどまり親の保護を受けて初めて成育する発達上の特質を意味し、ネズミ、イタチなどの類を典型とする。これらの動物は、出生時、まる裸で目は閉じ移動能力を欠き、無防備・無能力といえる。妊娠期間は一般に短く、胎児数はきわめて多い。これに対し、離巣性の動物は出生時すでに成体に近い感覚、運動能力をもち、すぐに自活しうる土台を備えている。妊娠期間は長く、一胎の胎児数は少ない。この類の典型的な動物種は、ウマなどの有蹄(ゆうてい)類、アザラシ、クジラ、霊長類などである。
以上から知られるように、組織体制が複雑であり進化した種ほど離巣性に傾き、組織体制が単純で低次な種ほど留巣性の特色が強い。この一般法則からすれば、人間は最高度に進化した哺乳類として、離巣性動物の典型となるはずである。事実、人間に近縁のチンパンジーなどの高等類人猿は離巣性の典型とされている。しかるに、人間はこれらに比し無防備・無能力が目だつ。そこで、ポルトマンは、人間の特質は新たに発生した独特の留巣性にあるとして、これを二次的留巣性とよんだ。
人間が二次的留巣性を呈する理由を、ポルトマンは、大脳が発達しすぎたための胎児の肥大化に求め、母体がその負担に耐えず生理的早産がおこるためと推論している。したがって、人間の生後1年間は、本来は母胎内にとどまるべき期間であり、ポルトマンによって「子宮外の胎児期」と名づけられた。身体各部の発達曲線をみると、体重などの発育速度は生後1年間にはなお胎児期の目覚しい速さを維持していることがわかる。
[藤永 保]
人間発達の特性
さらに、人間は直立二足歩行性という独特な特徴をもつ。よく誤解されているように、サルの類も一見二足歩行が可能なようにみえるが、これはきわめて不完全でまた常態ではなく、急速に移動することでやっと安定を保つ程度のものにすぎない。サルの類は、ヒトのように二足歩行しながら急に立ち止まり、方向を変え、ジャンプするなどは、不可能である。しかし反面、人間では脳貧血、腰痛、内臓下垂など他の動物種にはみられない障害がおこる。これは、ヒトがその進化史において直立二足歩行性を獲得してからたかだか何百万年かにすぎず、本来の四足歩行性をまだ完全には克服しえていないことを物語る。このように、人間は四足歩行性を二足歩行性にと変えていくために、他の動物種にはみられない豊富で複雑な発達のプログラムを急速に消化していく必要がある。
平岩米吉(よねきち)(1898―1986)は、イヌの年齢の数え方として、性的成熟に達することを基準とすると、人間の18歳までがイヌの1歳に相当し、以後はイヌの1年をほぼ人間の4年に換算すればよいとしている。このように人間の完態までの発達期がきわめて長いのは、前述した発達プログラムの豊富さによるところが大きい。また、高等類人猿の成育とくらべると、チンパンジーやゴリラなどでは年齢に比例して単調に体重は増大していくのに対し、人間では前述した乳児期と並んで青年期という発育の目覚ましい二つの特異な時期がある。このように2段階の節をもった発達曲線は人間特有のもので、人間発達の独自性をよく示している。また、乳児期、青年期という二つの時期は、人間発達における寄与度の大きいことが暗示される。
以上から、三つの人間発達の特性が指摘される。第一は、人間が相対的に無能力のまま生まれ、自己完結的本能のような既成の適応手段の体系には乏しいことから、人間は本質的に学習する動物だという点である。成熟説は、学習を軽視しすぎた偏(かたよ)りの産物である。第二は、人間の乳児が親に依存する度合いが高く、長期の母子関係(より一般的には、養育者―子供関係)が必然的となることである。このことはまた、文化遺産の伝達が必然的となることを意味する。第三は、長期の依存的親子関係が必然的であるために、子供はその影響から離脱するのに青年期のような劇的な発達期を必要とすることである。
[藤永 保]
発達期と発達課題
人間の生涯にはいくつかの節目があるが、それらがおのおの統一的構造をもった独自な行動の様式を示すとき、これを発達段階とよぶ。発達段階には、S・フロイトの口唇期、肛門(こうもん)期、エディプス期、潜在期、思春期、成人期、J・ピアジェの感覚運動的知能期、直観的思考期、具体的操作期、形式的操作期などさまざまの説があるが、もっとも包括的なものは、E・H・エリクソンによる乳児期から成熟期まで全生涯を8段階(乳児期、早期児童期、遊戯期、学童期、青年期、初期成人期、成人期、成熟期)に分かつものであろう。エリクソンは、人間の身体的、精神的、社会的などの各領域の発達には相互に調和のとれた進行が必要であるとする。縦軸に年齢または身体的成熟の進行を示し、横軸にはこれに並行する心理・社会的発達を意味させたとすると、身体的成熟が一段階進めば心理・社会的行動様式もそれと調和して一段階進まねばならないから、エリクソンの表示によれば、結局正常な人格の発達は縦軸と横軸の対角を左上から右下へと進むことになる。この経路からそれる進行は、ゆがんだ早熟や固着を示すものとなる。そうして、正常な発達の過程に現れてくるのが、エリクソンの心理・社会的危機とよぶ一種の発達課題である。
たとえば、乳児期の危機は信頼対不信という葛藤(かっとう)にあり、不信を乗り越える信頼感の獲得が必要とされる。人は、母子関係を支えとしてこの信頼感を獲得し、それを源泉として自己、他者、世界の秩序などへの信頼へと延長していかねばならない。これは人格の原本的礎石であるといえよう。逆に育児放棄や虐待などによって基本的信頼を獲得できなかった子供は、通常の発達路線から逸脱し、どこかで失われた過去の代償を余儀なくされるという危険性を潜在させることになる。青年期のそれは、エリクソンの重視する自我同一性の獲得か、その拡散かである。人は、自我同一性の確立により初めて独自の個性となりうるので、その意味で青年期は第二の誕生期とされた。八つの発達期はもちろんそれぞれに重要で必然的なものであるが、なかでもこの二つの意義が深いことが了解されよう。エリクソンの生涯発達学説は完成度の高いものではあるが、1980年代以降、これに加えて胎児期の意義が確認され、また成人期をさらにいくつかに区分しようとする構想がみられるようになった。さらに80歳を超す高齢者の増加により、エリクソン学派はこれに対応する人生の第9段階とその発達課題として老年的超越の獲得を提議している。仏教にいう諦念(ていねん)はこの超越に近似する。
[藤永 保]
『藤永保編『児童心理学』(1973・有斐閣)』▽『リーバート・パウロス・マーマー著、村田孝次訳『発達心理学』上下(1978・新曜社)』▽『T・G・R・バウアー著、鯨岡峻訳『ヒューマン・ディベロプメント』(1982・ミネルヴァ書房)』▽『M・ニューマン・バーバラ、R・ニューマン・フィリップ著、福富護訳『生涯発達心理学』(1988・川島書店)』▽『T・G・R・バウアー著、岩田純一・水谷宗行訳『賢い赤ちゃん――乳児期における学習』(1995・ミネルヴァ書房)』▽『中村和夫著『ヴィゴーツキーの発達論――文化・歴史的理論の形成と展開』(1998・東京大学出版会)』▽『桜井茂男編著『乳幼児のこころの発達』1~3(1999・大日本図書)』▽『ジャン・ピアジェ著、滝沢武久訳『思考の心理学――発達心理学の6研究』(1999・みすず書房)』▽『村井潤一他著『発達心理学――現代社会と子どもの発達を考える』(1999・培風館)』▽『桜井茂男・大川一郎編著『しっかり学べる発達心理学』(1999・福村出版)』▽『マリア・W・ピアーズ編、ジャン・ピアジェ、エリック・H・エリクソン他著、赤塚徳雄他監訳『遊びと発達の心理学』(2000・黎明書房)』▽『永野重史著『シリーズ人間の発達8 発達とはなにか』(2001・東京大学出版会)』▽『E・H・エリクソン、J・M・エリクソン著、村瀬孝雄・近藤邦夫訳『ライフサイクル、その完結』増補版(2001・みすず書房)』▽『日本児童研究所編、稲垣佳世子・高橋恵子責任編集『児童心理学の進歩(2003年版)』(2003・金子書房)』