由良川(読み)ゆらがわ

精選版 日本国語大辞典 「由良川」の意味・読み・例文・類語

ゆら‐がわ ‥がは【由良川】

京都府中央部を西流し、のち北流して宮津市由良で栗田(くんだ)湾に注ぐ川。三国岳に発し、上流は大野川と呼ばれる。江戸時代は福知山まで舟運が通じ、京都への水運に利用された。全長一四六キロメートル。

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デジタル大辞泉 「由良川」の意味・読み・例文・類語

ゆら‐がわ〔‐がは〕【由良川】

京都府北部を流れる川。滋賀との県境の三国岳に源を発し、西流して福知山盆地で北に転じ、若狭湾に注ぐ。長さ146キロ。江戸時代、福知山と由良港とを結ぶ水路として利用。

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日本歴史地名大系 「由良川」の解説

由良川
ゆらがわ

丹波・近江・若狭の三国国境の三国みくに岳に発し、西流して北桑田郡美山みやま町・船井郡和知わち町・綾部市を経て福知山市に達する。ここで北、続いて東北に転流して加佐郡大江おおえ町・舞鶴市、宮津市の一部を通って日本海の栗田くんだ湾に注ぐ。全長一四六キロ、流域面積一千八八〇平方キロ。

由良川に合流する主な河川は北桑田郡美山町で棚野たなの川、船井郡和知町で高屋たかや川、綾部市で上林かんばやし川・八田やた川・さい川、福知山市で土師はぜ川・和久わく川・まき川、加佐郡大江町でみや(二俣川)、以下下流では両側から多くの谷川を合する。江戸時代の地誌「丹後風土記」は由良川について「丹波筋よりの小川皆流れ入、八十八川の川尻といへり」と述べている。最も広い流域は綾部・福知山両市にまたがる福知山盆地で、幅平均は約一・五キロ、長さは約二五キロである。

現在の由良川は大野おおの(美山町)和知わち(和知町から福知山市東部)ともよばれ、古名としては大芋おくも川がある。平治大嘗会屏風歌詞書に「大芋河辺群鶴又有六月祓人」、仁安時のそれにも「大芋河岸上松樹数株藤花開敷」とある(大和絵史研究)大江匡房の歌に

<資料は省略されています>

があり、近世の地誌「丹後旧事記」は「大雲川」と記し「由良川を云、延喜式に宇良といふ」とある。このように「おくも」に「大雲」の字をも用いる場合もあり、現大江町に大雲橋がある。そのほか由良川の部分名として養和元年(一一八一)九月一六日付官宣旨(松尾大社文書)に「応永停止松尾社領当国天田河甲乙輩魚釣事」とある。この松尾まつお(現京都市西京区)領の地は西流してきた由良川が現福知山市内で北転する地域の雀部ささいべ庄のことで、天田郡の東部にあたるので、当地辺りでは「天田河」とよんでいたのであろう。また福知山では由良川をとくに音無瀬おとなせ川とよび、現在音無瀬橋も架かっている。音無瀬川の由来は「横山硯」に、「古の私部庄今の私市村に私の漁翁と云ふ人ありて、和知谷より由良へ流るる大川にて、味方より神守の間川魚を取つて松尾神社へ日供に奉る、(中略)此川四季ともに釣を禁じ、さはがしき事を止め、静なる事を好みて殺生禁断の場所なり、依て音無川と名付く、此川味方より上は和知川と云ひ、神守より下は小久保川と云ふ」とある。「小久保川」は大芋川・大雲川に通じ、由良川の下流をさしていたことが知られる。

〔漁業〕

由良川の漁業に関する初見は先述の養和元年九月一六日付宣旨で、天田あまた(現由良川)の松尾社領雀部庄境より下流、丹後境より上流の間は松尾社の贄魚をとるところで、禁漁区域であったことがわかる。

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百科事典マイペディア 「由良川」の意味・わかりやすい解説

由良川【ゆらがわ】

京都府北部の川。長さ約146km。滋賀県境の三国岳に発し丹波高地を西流,福知山盆地から北流して宮津市の東で若狭湾に注ぐ。古名は大芋(おくも)川で,古代より魚漁がみられた。また水運も盛んであった。下流部の洪水を防ぐため1961年美山町(現・南丹市)に大野ダムが建設された。アユを産する。
→関連項目綾部[市]大江[町]雀部荘田辺日吉[町]福知山福知山[市]美山[町]夜久野[町]和知[町]

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改訂新版 世界大百科事典 「由良川」の意味・わかりやすい解説

由良川 (ゆらがわ)

京都府,滋賀県,福井県境の三国岳(776m)付近に発して西流,福知山盆地西端付近から北流して宮津市由良で若狭湾中の栗田(くんだ)湾に注ぐ川。幹川流路延長146km,全流域面積1880km2。上流部では大野川,京都府船井郡京丹波町の旧和知町付近では和知川,福知山市付近では音無瀬(おとなし)川などとも呼ばれ,古くは天田(あまだ)川,大芋(大雲)(おくも)川などの称もあった。上流部では峡谷や河岸段丘を形成する。集水域が広く,福知山盆地では土師(はぜ)川,牧川など多くの河川の水が集中,盆地出口が狭隘なためしばしば洪水が起こった。一方,河底のこう配がゆるやかで内陸部まで遡行できるため,輸送・交通の手段として重要な水路であった。河口の由良湊西廻航路内陸水運の結節点で,古くから廻船に従事する者がいて繁栄したことは,説経節《山荘太夫》,浄瑠璃由良湊千軒長者》の舞台となったことなどからもうかがわれる。明治後期には蒸気船も就航したがまもなく廃され,鉄道の発達とともに舟運は絶えた。水量調節などのため,上流部には大野ダムがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「由良川」の意味・わかりやすい解説

由良川
ゆらがわ

京都府中央部の丹波(たんば)高地から北流して日本海に注ぐ川。一級河川。延長146キロメートル、流域面積1880平方キロメートル。京都府と滋賀県、福井県境の三国(みくに)岳(776メートル)に源を発し、高屋(たかや)川、上林(かんばやし)川などの支流を集めて福知山盆地を東から西に貫流する。盆地の西端で土師(はぜ)川、牧(まき)川をあわせ、流路を北に転じて宮津(みやづ)市と舞鶴(まいづる)市にまたがる栗田(くんだ)湾で日本海に流入する。福知山盆地から上流は4、5段の河岸段丘が発達する。福知山盆地では河床勾配(こうばい)が緩やかとなって氾濫原(はんらんげん)が広がるが、盆地西端の部分は狭隘(きょうあい)のため洪水が発生しやすく、高さ11メートルの堤防を巡らし、上流には洪水調節用の大野ダム、和知ダムが築造されている。江戸時代には福知山と河口の由良港までを中心に水運が盛んであったが、1904年(明治37)の鉄道の開通で衰退した。

織田武雄

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「由良川」の意味・わかりやすい解説

由良川
ゆらがわ

京都府北部の川。丹波山地東端の三国岳 (959m) に発して西流,高屋川,上林川を合流して福知山盆地を貫流し,土師 (はぜ) 川,牧川が合流する福知山付近で北東に向きを変え,若狭湾の支湾栗田 (くんだ) 湾に注ぐ。全長 146km。福知山盆地では盆地底の標高が低く,出口も狭いため,たびたび大洪水を引起した。現在は堤防が築かれ,上流部に洪水防止をも目的とする大野ダムが 1961年に建設された。鉄道開通以前は西廻航路と結びついて,福知山と河口の由良港との間に水運が盛んであった。

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世界大百科事典(旧版)内の由良川の言及

【福知山盆地】より

…東部は綾部市,西部は福知山市に属する。丹波高地と丹後山地の間,由良川流域の東西に長い構造性の盆地で,周辺には標高450m前後の山地や長田野(おさだの),以久田野などの洪積台地が発達し,河岸段丘が形成される。盆地東端から流入した由良川は,西流して南東からの土師(はぜ)川,南西からの和久川,西からの牧川などを合わせ,北に向きを変えて流れ出る。…

※「由良川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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