理性
りせい
reason 英語
Vernunft ドイツ語
raison フランス語
物事を正しく判断する力。また、真と偽、善と悪を識別する能力。美と醜を識別する働きさえも理性に帰せられることがある。それだけが人間を人間たらしめ、動物から分かつところのものであり、ここに「人間は理性的動物である」という人間に関する古典的定義が成立する。デカルトは、万人に生まれつき平等に備わっている理性能力を「良識」あるいは「自然の光」ということばで表している。古来、理性は闇(やみ)を照らす明るい光として表象されてきた。理性によって宇宙における諸事象をある比例的・調和的関係において眺め渡すとき、暗い、見通しのきかない混沌(こんとん)(カオスchaos)のなかから、ある法則的関係のなかに定位された調和的宇宙(コスモスcosmos)が出現する。もともとギリシア語のロゴスlogos(理性)あるいはそのラテン訳としてのラチオratioには、比例とかつり合いという意味が含まれていたのである。明るい光としての理性に対比していえば、感性的欲望や情念は、暗い盲目的な力である。この意味で理性ともっとも鋭く対立するのは狂気かもしれない。喜び、悲しみ、怒り、欲望、不安などの情念は、暗い、非合理的な力として内部から暴発する。これを理性的意志によって統御することができなければ、精神の自律性を保つことができない。ここに理性による情念支配という道徳問題が発生する。
カントでは、本能や感性的欲望に基づく行動に対し、義務あるいは当為(ゾルレンSollen〈ドイツ語〉)の意識によって決定される行為が理性的とよばれる。われわれのうちには自律的に自己の意志を決定する理性的能力があって、それによって道徳的行為が可能となる。これが、理論理性と区別される実践理性である。受容性の能力としての感性と対立する意味における理性は、自発性の能力としてとらえられるが、その場合には、理性と悟性はほとんど同義に用いられている。
しかし、理性はしばしば悟性と対立する意味でも使われる。古くから、概念的・論証的な認識能力としての理性(ラチオ)に対して、真実在を直観的に認識する、より高次の認識能力として悟性あるいは知性(インテレクトゥスintellectus)の語が用いられた。しかし、啓蒙(けいもう)期以後、この優位の関係は逆転される。カントでは、悟性が感覚の多様を概念的統一へもたらすところの、被制約的な認識能力であるのに対し、理性は判断の一般的制約をどこまでも求めていく無制約的な認識能力であった。さらに、ヘーゲルにおいては、悟性が抽象的概念の能力であるのに対し、理性は具体的概念の能力であり、悟性的概念による対立の立場を超え、これを生きた統一へともたらす働きであった。理性はまた、宇宙を支配する根本原理という意味においても用いられる。アナクサゴラスのヌースの説もその一例だが、もっとも典型的なのは、ヘーゲルの世界精神の考えで、歴史は世界精神の自己実現の過程であり、そこには、ある理性的原理が貫かれているという。
[伊藤勝彦]
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理性
りせい
reason
一般には精神や知性と等しく,意識的思考能力の全体をいい,信仰,感覚,経験,無意識とそれぞれ対立する。広い意味では意志をも含んでいる。まず理性は推論 reasoningの能力と考えられる。すなわちそれは概念や命題を明確に区別したうえで,その間に論理的連関を見出す能力である。トマス・アクィナスは推論の能力としての理性 ratioよりも上位の認識能力として,真理を直観的にとらえる知性 intellectusをおいており,それはプラトンにおけるロゴスに対するヌースの延長上にある。理性 Vernunftと悟性 Verstandはカントにいたって初めて区別された。彼によれば悟性は感性的直観を総合する能力であり,理性は悟性に原理を与えるもので,理性によって魂,世界,神などの理念が得られる。カントのこの区別は内容を少しずつ変えて 19世紀以後の多くの論者に受継がれた。またカントは純粋理性と実践理性を区別し,それぞれを理論と道徳においてア・プリオリ (→ア・プリオリとア・ポステリオリ ) な認識を与える原理として経験に対立させた。また主観的,個的理性に対して客観的理性を立てる場合 (フィヒテ,ヘーゲル,シェリング) ,後者は絶対的理性としての神という概念の世俗化もしくは世界内在化であり,世界を支配している究極的原理をさしている。
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理性【りせい】
ギリシア語nous,ラテン語ratio,英語reason,ドイツ語Vernunft,フランス語raisonなどの訳。一般に諸経験を連関させて全体的・総括的な認識をもたらす知的能力をいうが,語義の広狭,身分は論者によって多様である。哲学史上,感性・悟性・理性の区別を設けたカントが重要。理性を主観の能力とみる立場に対して,歴史のうちに自らを展開し実現する生成と運動の客観的原理とみる立場があり(カント以後のドイツ観念論,とりわけヘーゲルが代表的),これは〈世界理性〉とか〈絶対理性〉と呼ばれる。いずれにせよ,理性の背後に超自然的・形而上学的秩序を想定するのが西洋哲学の主流であり,これを悪しき〈理性中心主義〉〈合理主義〉として批判する試みもある。→感性/合理主義
→関連項目悟性|ロゴス
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り‐せい【理性】
〘名〙
① 感情に走らず、
道理に基づいて考えたり判断したりする能力。
※浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉三「理性の口をも閉ぢ、認識の眼を眩ませて」
② (reason Vernunft の
訳語) プラトン哲学で、概念的な推理能力の悟性に対して、真実在を直覚する能力。また、カント哲学で、概念的な思考、推理、判断をする能力であるとともに、衝動的な行動に対して、義務の意識に基づく行為を遂行していく能力。
※致知啓蒙(1874)〈西周〉上「此理性こそ、天の吾人に、与へたる霊知〔 intellect 〕の性にして、〈略〉人の世に、いとも重き司さを、勤むる者なれ」
り‐しょう ‥シャウ【理性】
〘名〙 仏語。
※正法眼蔵(1231‐53)仏教「しかあれば教は赴機の戯論なり、心は理性の真実なり」
※真如観(鎌倉初)「爾前の諸経に順ずれば、理性(リシャウ)の仏を弁ぜざる也」
③ 道の根本をいう。〔華厳遊心法界記〕
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デジタル大辞泉
「理性」の意味・読み・例文・類語
り‐せい【理性】
1 道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。
2 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。「理性を失ってつっ走る」
3 カント哲学で、広義には先天的能力一般。狭義には悟性・感性から区別され、悟性の概念作用を原理的に統一・制御・体系化する無制約の認識能力。理念の能力。
4 ヘーゲル哲学で、悟性が抽象的思考の能力であるのに対して、弁証法的な具体的思考の能力。
5 宇宙・人生をつかさどる基本原理。
[類語]知性・理知・知恵・インテリジェンス・知・人知・衆知・全知・奇知・才知・悟性・故知・英知
り‐しょう〔‐シヤウ〕【理性】
仏語。宇宙万物の不変の本性。法性。また、普遍の真理。真如。
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りせい【理性】
人間に固有の思考力,認識力は一般に〈知性intellect〉ないし〈理性〉と呼ばれ,古来,規則に従って分析し論証する〈悟性understanding〉,原理・始元を直覚・洞察して総観し統括する〈理性reason〉の二面を含むとされる。本能,感覚,記憶,想像,意志とは区別され,また啓示や信仰に対置されてきた。 理性という訳語は,事物の本性を示す仏教用語〈理性(りしよう)〉および〈道理〉とともに,1881年(明治14)の《哲学字彙》でreasonに当てられた(1870年西周(にしあまね)はreasonを人間に備わる〈性の智〉,86年中江兆民はフランス語のraisonを〈良智〉と訳した)。
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世界大百科事典内の理性の言及
【感性】より
…もろもろの感官による感覚的認識能力一般から,ときに感情をも総称する用語として使われる。感覚的認識能力としての感性は,通常,知性,理性,悟性等何らかの意味での知的認識能力に対立するものとして使われ,また感性の語が主として感情の意味に重きをおかれるときには,知性と意志とに対立するものとして使われるのが一般である。古代ギリシア以来,感性は,受動的なものであり,したがって確実な認識をもたらすことのないものとして,知性や理性にたいして低く位置づけられ,感情もまた,とりわけ中世の哲学においては,おなじく受動的であるゆえに,理性や善を意志の自由な発現をさまたげるものとして,低い位置をあたえられるのを常としてきた。…
【啓蒙思想】より
…上記の英語名も,ドイツ語のAufklärung,フランス語のlumièresも,いずれも光ないし光によって明るくすることを意味する。〈自然の光〉としての人間生得の〈理性〉に全面的に信頼し訴え,各人があえてみずから理性の力を行使することによって,カントの言い方によれば,〈人間がみずからに負い目ある未成熟状態から脱すること〉へと働きかけ,こうして,理性的自立的な人格の共同体の実現を目指すことにその目標はあったと考えられる。このような理性の自律を目標とする啓蒙思想は,当然,理性の理解を超えた〈恩寵の光〉〈啓示の光〉の権威によりたのむ旧教会勢力,またそれと密接に結びついた中世以来のスコラ哲学に批判の矢を向けることになる。…
【合理主義】より
…現在ふつう〈合理主義〉というと近代合理主義のことだけを考えがちだが,もともと合理主義とは一般に〈理性(ロゴス,ラティオ)〉にのっとった考え方,生き方,世界のとらえ方を意味する。だから,理性にさまざまなものがあれば,合理主義にもさまざまなものがあることになる。…
【コスモポリタニズム】より
…だがコスモポリタニズムが本格的に現れたのは,都市国家崩壊後のローマ帝国の成立により,ローマ的平和,世界国家の概念がつちかわれた後である。すなわちストア派に属するマルクス・アウレリウスは,世界は自己がその一市民である神の国であり,人間は理性と愛とによって結ばれるべきであると説いた。しかし,こうした主張は隠遁主義と結びつく一方,現実には帝国への忠誠の概念を包蔵していた。…
【精神】より
…したがって,ここでは人間における身体と精神はまったく異なった秩序に属するものであって,精神は身体から分離可能であるばかりでなく,むしろ身体の穢れから浄化されるべきものと考えられる。近代になっても,たとえばデカルトは,身体は空間的広がりを本性とする物体の秩序に属するのに対し,精神ないし理性は思惟を本性とするそれとは別の秩序に属すると見る物心(身心)二元論を説くが,その場合も人間理性は大いなる理性である神につながるものと考えられている。そのため,デカルト以後の近代初期の哲学においては,これら異なる秩序に属する心身がどのような関係にあるのかという問題をめぐって,相互作用説,平行論,機会原因論,予定調和説など多様な仮説が提出されることになる。…
【暴力】より
…その限りで,暴力は倫理的でさえありうる。こうした暴力の倫理性を強く主張したのが,G.ソレルの《暴力論》であった。ソレルは,ブルジョアジーが国家機構を通じて行使する力をフォルスforceと呼び,プロレタリアートが革命の際,対抗的に行使する力をビオランスviolenceと呼んで,フォルスの非倫理性に対してビオランスの倫理性を対置した。…
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