片岡郷(読み)かたおかごう

日本歴史地名大系 「片岡郷」の解説

片岡郷
かたおかごう

和名抄」には記載がないが、平城宮跡出土木簡および天平七年(七三五)の紀年銘のある平城京(二条大路大溝)跡出土木簡にみえる。(一)「上総国阿波郡片里服織部小□戸服織部麻呂調壱束」「上総国阿波郡」、(二)「安房国安房郡片岡郷長野里矢田部荒城輸鰒伍拾□条 天平七年十月」、(三)「安房国安房郡片岡郷長野里戸刑部広国戸口丸子部麻々呂輸鰒調陸斤陸拾条 天平七年十月」、(四)「安房国安房郡片岡郷滝辺里戸卜部黒麻呂輸鰒調陸斤伍拾伍条 天平七年十月」の四点で、(一)は平城宮跡出土のもので郡里制下、安房国が上総国から分置・新設される前の七一〇年から七一五年の間のもの。

片岡郷
かたおかごう

「和名抄」東急本・高山寺本ともに訓を欠く。同書の上野国片岡郡には「加太乎加」との訓が付されており、これに準じて訓じておく。天平勝宝四年(七五二)一〇月二五日の造東寺司牒(正倉院文書)に、下野国内の東大寺封戸二五〇戸の内訳の一つとして「塩屋郡片岡郷五十戸」と記されており、この時をもって同寺の封戸に充給されている。当郷を含む五郷は設定当初のまま、少なくとも平安中期までは東大寺の封戸として存続しており、天暦四年(九五〇)一一月二〇日の東大寺封戸庄園并寺用雑物目録(東南院文書)によると、塩屋郡の封戸五〇戸(おそらく片岡郷)からは、調布一四〇端七尺・租穀二〇〇石・中男作物の紙一千七六〇張・仕丁代価(おそらく仕丁二人分の代価として銭四貫二四八文と調布二〇端)が納入されている。

片岡郷
かたおかごう

「和名抄」は諸本とも訓を欠く。郷名は古代文献に所見がない。「新抄格勅符抄」に「片岡神 卅戸大和七戸・遠江八戸・近江十五戸」とみえる片岡神社は当郷に関係するものであろう。郷域は現余呉よご町の余呉川流域を中心とする旧片岡村一帯とすることで諸書一致するが、「輿地志略」はより広く考えて同町南部と木之本きのもと町南西部を含める。

片岡郷
かたおかごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに訓を欠く。「吾妻鏡」建暦二年(一二一二)八月二二日条に「相模国片岡前取等社」が将軍家御祈祷所と定められたとみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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