東大寺文書(読み)とうだいじもんじょ

百科事典マイペディア 「東大寺文書」の意味・わかりやすい解説

東大寺文書【とうだいじもんじょ】

奈良東大寺に伝来した,奈良時代から江戸時代にいたる文書群の総称。東大寺の2院家東南院(とうなんいん)・尊勝院(そんしょういん),大勧進職の系譜を引く竜松院(りゅうしょういん),執行(しぎょう)の系譜を引く薬師院(やくしいん)などの子院・塔頭(たっちゅう)に伝来した文書の大部分は現在東大寺図書館に所蔵される。だが1872年に皇室に献納されて《正倉院文書》に含まれることになった〈東南院文書〉をはじめ,明治初年の廃仏毀釈の際などに寺外に流出し,個人や資料館・図書館・大学などの所蔵となっている東大寺旧蔵文書も多い。また《正倉院文書》自体も広義の東大寺文書に含まれるといえる。明治以降寺に残された文書のうち,重要とされた文書1026通は1896年頃選び出されて100巻の巻子本に仕立てられた。これは〈成巻文書(せいかんもんじょ)〉,または〈百巻文書(ひゃっかんもんじょ)〉と称される。〈成巻文書〉以外は〈未成巻文書(みせいかんもんじょ)〉と呼びならわされ,大正年間(1912年−1926年)に京都帝国大学文学部国史研究室によって整理・分類されたのを基礎に,現在は10架に分類されている。このほか,東大寺図書館で経典聖教類とともに分類されている文書群,東大寺本坊南庭の校倉宝蔵に納められていた〈宝庫文書〉,薬師院家に伝来した〈薬師院文書〉も〈未成巻文書〉に含まれる。これらの文書は平安時代から鎌倉時代には計6合の唐櫃に分類して納められ,印蔵(いんぞう)に置かれて五師・三綱により保管され,鎌倉時代末から室町時代には年預五師によって管理されていたことが判明している。出納の際には出納文書の目録や出納年月日が記録され,毎年の年預交替の際には文書の目録である勘渡帳(かんとちょう)が作成され,引き継がれた。内容は主に古代から中世末にかけての,伊賀国黒田荘(くろだのしょう)・美濃国大井荘(おおいのしょう)をはじめとする寺領荘園や周防国衙領の支配経営に関わるものが多く,兵庫関(ひょうごのせき)や太宰府観世音寺(だざいふかんぜおんじ)関係の文書も含まれる。正文以外に下書である草案の類も残り,また種々の牛王宝印に記された起請文類もみられ,東大寺の寺院組織・経営,宗教活動などにとどまらず,古代から中世に至る政治・経済・社会の様相を示す重要な資料である。〈成巻文書〉〈未成巻文書〉は国の重要文化財に指定されている。
→関連項目東大寺図書館

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改訂新版 世界大百科事典 「東大寺文書」の意味・わかりやすい解説

東大寺文書 (とうだいじもんじょ)

奈良市東大寺に所蔵されている古文書群。古代から中世末にいたる約9000点の古文書があり,国の重要文化財に指定されている。かつては東南院,尊勝院の2院家をはじめ,大勧進職の流れをひく竜松院,執行の流れをひく薬師院などの子院・塔頭(たつちゆう)に別々に伝存していた文書も,現在は大半が東大寺図書館に保管されている。もっとも,明治時代,廃仏毀釈の影響などのため,その文書の一部が寺外に流出したほか,東南院文書が皇室に献納され,正倉院に保管されるようになるなど,現在寺外に存在する東大寺文書の数も少なくなく,内閣文庫,東大,京大,根津美術館などにかなりの数の文書が収められている。広義には,これらの東大寺旧蔵文書も,東大寺文書と呼ぶべきであろう。

 明治時代,寺に残っている文書のうち,とくに重要と考えられた文書が100巻に成巻されており,これを〈成巻文書〉,または〈百巻文書〉と称し,それ以外を〈未成巻文書〉と呼びならわしている。〈未成巻文書〉は,大正年間に中村直勝らによって整理され,荘園別,様式別に6架に分けられ,影写本94冊が作成された。現在の保管状態の根幹はこのときに作られたといってよいが,その後さらに整理が加えられ,現在は10架に分類されている。すでにこうした近代の整理の手が加えられているため,過去の分類・保管状況はわからない点も多いが,平安・鎌倉時代には5合の公験唐櫃(くげんからびつ)(国・荘園別に4合,観世音寺文書1合)が作られ,雑文書を入れた唐櫃と合わせ,6合の唐櫃に文書が納められ,それが印蔵に置かれ,五師・三綱の手で厳重に保管されていたことが明らかである。また,鎌倉時代末から室町時代には年預五師が惣寺の文書を管理し,毎年2月25日の年預の交替のときに,管理下にある文書の目録を勘渡帳として作成し,引き継いでおり,当時の文書管理状況を推定するうえで重要な史料となっている。

 文書群の最大の特徴は,数度にわたる火災にもかかわらず,古代以来の文書が数多く残されていることで,正文ばかりでなく,文書の下書きである土代・草案の類など,一般には廃棄されて残りにくい文書も数多く含まれている。内容的には,黒田荘,大井荘をはじめ寺領荘園の経営や支配をめぐっての文書,近世にも寺の主要な財源となっていた周防国衙領関係文書,中世の瀬戸内海交通の重要な史料である兵庫関関係文書や,1120年(保安1)太宰府観世音寺が東大寺の末寺になったさいに,写しが作られて東大寺に送られた観世音寺文書などが主要なものである。

 なお,奈良国立文化財研究所から未成巻文書の目録《東大寺文書目録》全6巻が刊行され,東大史料編纂所から《大日本古文書》の一つとして《東大寺文書》が出版継続中である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東大寺文書」の意味・わかりやすい解説

東大寺文書
とうだいじもんじょ

奈良東大寺に所蔵されている古文書群。古代から中世末に至る約9000点の文書は国重要文化財に指定されている。かつて東南院(とうなんいん)・尊勝(そんしょう)院の2院家(いんげ)をはじめ、大勧進職(だいかんじんしき)の流れを引く龍松(りゅうしょう)院、執行(しぎょう)の流れを引く薬師(やくし)院などの子院・塔頭(たっちゅう)に別々に伝存していた文書も、現在は大半が東大寺図書館に保管されている。しかし、明治時代に廃仏棄釈の影響などでかなりの文書が寺外に流出し、国立公文書館、東京大学、京都大学などの所有に帰したものもあり、広義にはこれらも東大寺文書とよぶべきであろう。

 文書群の特徴は、数度の火災や戦乱を越えて奈良時代以来の文書が数多く残されていることで、内容的には、黒田荘(しょう)、大井荘をはじめ寺領荘園の経営をめぐっての文書、近世まで寺の主要財源だった周防国衙(すおうこくが)領関係文書、瀬戸内海交通の史料である兵庫関(ひょうごのせき)関係文書や末寺の太宰府観世音寺(だざいふかんぜおんじ)文書などが主要なものである。なお、東京大学史料編纂(へんさん)所から『大日本古文書』の一つとして『東大寺文書』が出版継続中のほか、奈良国立文化財研究所(現、奈良文化財研究所)から『東大寺文書目録』(全6冊)が刊行されている。

[千々和到]

『奈良国立文化財研究所『東大寺文書目録』全6巻(1979~84・同朋社)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「東大寺文書」の解説

東大寺文書
とうだいじもんじょ

奈良市の東大寺に伝わる奈良~江戸時代の文書の総称。国宝の「東大寺成巻文書」「東大寺未成巻文書」のほか,「東大寺宝庫文書」「薬師院文書」「尊勝院文書」「東南院文書」や寺外に流出した個人蔵文書などからなる。寺領荘園の支配に関するものが多く,とくに伊賀国黒田荘関係の文書は重要。ほかに寺院組織や仏事・法会・行事,堂舎の造営・勧進に関するものなどがある。「栄西自筆唐墨筆献上状」1幅など,単独で重文に指定されているものも多い。影写本は内閣文庫・東京大学史料編纂所・京都大学文学部蔵。「大日本古文書」所収。

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日本歴史地名大系 「東大寺文書」の解説

東大寺文書
とうだいじもんじよ

一冊 中村直勝編 全国書房 昭和二〇年刊

構成 百巻東大寺文書のうち五〇巻約三八五点収録。

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