滝川町(読み)たきかわちよう

日本歴史地名大系 「滝川町」の解説

滝川町
たきかわちよう

明治四三年(一九一〇)一一月、滝川村が改称して成立した空知郡の町。昭和三三年(一九五八)まで存続した。明治四三年の戸口は一千四六四世帯・七千九二八人(滝川市史)。この年鉄道下富良野線(現JR根室本線)の上川線からの分岐点を砂川争い、滝川に決定した。同年石狩川治水工事が始まり、同四四年滝川実業団(のちの商工会)が組織された(同書)。大正二年(一九一三)下富良野線が開通。翌年旭川電灯株式会社滝川火力発電所が設けられ、初めて市街に電灯がついた。同五年当町・江部乙えべおつ村、音江おとえ(現深川市)が空知土功組合を結成した(北海道土功組合史)

滝川町
たきがわちよう

[現在地名]北区天満てんま四丁目

天満七丁目の西にあり、大川北岸から北へ延びる両側町。もと天満七丁目の西筋であったがのちに分れ(初発言上候帳面写)、明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図には西七丁目、元禄年間(一六八八―一七〇四)の大坂三郷町絵図に滝川町とみえる。北の高島たかしま町との間で道路が食違っている。大坂三郷天満組に属し、同一三年の三郷水帳寄帳では屋敷数五六・役数五三役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は中島屋次郎右衛門。当町川岸も天満青物市場となっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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