渚村(読み)なぎさむら

日本歴史地名大系 「渚村」の解説

渚村
なぎさむら

[現在地名]枚方市渚〈西にし一―三丁目・内野うちの一―四丁目・さかえ町・もと町・ほん町・ひがし町・みなみ町〉・三栗めぐり一―二丁目・上野うえの一―三丁目・御殿山ごてんやま町・御殿山南ごてんやまみなみ町・中宮北なかみやきた町・磯島茶屋いそしまちやや町・黄金野こがねの一―二丁目・北片鉾きたかたほこ町・小倉東おぐらひがし町・小倉おぐら

西半部は淀川左岸沿いの沖積低地、東半部は洪積層の交野かたの丘陵からなる。村内を甲斐田かいだ川が西に流れる。交野郡に属し、北はさか村、東は小倉村・甲斐田村。村名は、文字どおり淀川沿いの河港集落であったことによる。「河内志」に「渚属邑二」とみえる枝郷は、南部の山垣内と三栗とをさす。「波瀲」とも記した(河内鑑名所記)。周辺に広がる原野は天皇家の狩場として使われ、文徳天皇の皇子惟喬親王が交野遊猟に用いた渚院があった。

渚村
なぎさむら

[現在地名]久々野町渚

北はふな(一四七九・五メートル)大沢おおさわ(一一一二・二メートル)尾根無数河むすご村と境する。両山より流れる水は牛牧うしまき谷となって南流し、飛騨川へ分流する少し上で女男めおと滝となる。南流する飛騨川は集落を右岸と左岸に分け左岸は枝村の片籠かたかご河内こうち郷のなかでも地も開け渡船場宿場もあり、金森氏時代飛騨川左岸に設けられた飛騨街道の口留番所が寛政二年(一七九〇)まで続いた。同川を渡る撥板橋があった(斐太後風土記)。元禄飛騨国検地反歩帳の河内郷に村名がみえ、高三四石余、田一町一反余。

渚村
なぎさむら

[現在地名]松本市渚一―三丁目

松本城下町をめぐる庄内しようない組の一村。白板しらいた村の南にあり、川(女鳥羽めとば川・すすき川を合流)と奈良井ならい川に挟まれた平地の村である。天正検地には村高を二一四石三斗三升六合、享保九年(一七二四)当時の石高は三一五石七斗七升七合四勺である。寛文年間(一六六一―七三)水田は一四町四段七畝一六歩に対し、畑地は七町五段八畝二六歩と二分の一にすぎない。

村の中央に渚城の跡があり、その側に曹洞宗の天女山浄徳じようとく寺があり観世音菩薩本尊とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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