渋木村(読み)しぶきむら

日本歴史地名大系 「渋木村」の解説

渋木村
しぶきむら

[現在地名]長門市渋木

深川ふかわ川の上流大地だいち川・木戸本きどもと川を合する辺りを中心とした山村で、西は俵山たわらやま村、東は真木まき村、南は於福おふく(現美祢市)、北は深川村三隅みすみ(現大津郡三隅町)に囲まれる。前大津宰判に所属する。

「延喜式」にみえる古代の陰陽連絡路は、深川川沿いに開かれ、渋木から真木市尾いちおを経て美祢みね嘉万かま(現秋芳町)に出たといわれ、渋木はこの街道沿いであったとされる。「文徳実録」仁寿元年(八五一)一〇月八日条に従五位下を授けられたと記される「長門国鹿集福賀磨能峯壬生四神」のうち集福しぶきの神はこの地に鎮守したとする説もあるが不詳。

俵山の能満のうまん寺所蔵の古写大般若経の奥書の一つに、応永八年(一四〇一)年号があり「深河庄渋木村渓雲庵」と記し、また同一一年のものに「深川庄内渋木村八幡宮御宝前流通」とあって、中世には深川庄に属したことがわかる。

渋木村
しぶきむら

[現在地名]多久市東多久町ひがしたくまち別府べふ 渋木

小城おぎ藩領と多久邑との境界、唐津往還の渋木嶺を越えた一帯で、小城領内みね山の西麓部に位置する。村の前方牛津川が平野部を湾曲しながら流れ、この川に沿って別府村があり、その手前、北方山麓が平地部に移行する所に集落が形成されている。

正保絵図に村名がみえる。「丹邱邑誌」の承応二年(一六五三)の「邑中正税」に「小城郡別府郷」のうち、地米「百三十一石七升 渋木村」とある。

同書の貞享二年(一六八五)の「邑中租税」、享保六年(一七二一)の「水火田村落宅地」にも単に渋木村と記されているので、この頃には小城郡別府郷の名称は使用されていなかったのではないかと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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