清良記(読み)せいりょうき

精選版 日本国語大辞典 「清良記」の意味・読み・例文・類語

せいりょうき セイリャウキ【清良記】

江戸前期の雑史書。寛永六~承応三年(一六二九‐五四)頃成立。三〇巻一五冊。著者は土居真吉(さねよし)水也とも。伊予国愛媛県)宇和島地方の土豪土居清良伝記。その第七巻は「親民鑑月集」ともいわれ、清良の農政に対する松浦宗案の意見具申や清良と宗案の問答によって農業技術、経営などについて詳細に論じており、日本最古の農書として知られる。

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デジタル大辞泉 「清良記」の意味・読み・例文・類語

せいりょうき〔セイリヤウキ〕【清良記】

近世軍記物伊予国宇和郡の戦国武将土居清良の一代記。30巻。土居水也著。成立年代は戦国末から近世前期にかけて諸説ある。第7巻「親民鑑月集」は農書として著名

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改訂新版 世界大百科事典 「清良記」の意味・わかりやすい解説

清良記 (せいりょうき)

戦国末期,伊予国宇和島地方の土豪土居清良(1546-1629)の一代記。30巻。全体軍記物語であるが,第7巻が《親民鑑月集》と題されて,清良の農政上の諮問に対して松浦宗案が単に農政の心得だけでなく,土壌,作物の品種・栽培,肥料,農業労働等について詳細な意見を述べているところから,経済史・農業史の立場から《清良記》といえば,この巻をさし,かつ日本最古の農書として紹介されていた。ただし研究が進むにつれて,異本が多く,内容的にも問題が少なくなく,著者も1654年(承応3)に没した土居水也とされる等,その記載事項のすべてが戦国末期の農業事情を記述しているとは断定しがたく,むしろ近世農業への移行過程を示すものとされている。一般論としてはそうであるとしても,個々の事実についてはなおそれぞれ吟味の余地がある。全編の翻刻は,松浦郁郎校訂《清良記》,第7巻は《日本農書全集》所収。
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日本歴史地名大系 「清良記」の解説

清良記
せいりようき

三〇巻 土居水也著

成立 寛永六年―承応三年

写本 国会図書館・内閣文庫

解説 宇和郡三間大森城主土居清良一代を描いた戦記物。永禄・元亀・天正頃、土佐の一条・長宗我部両氏および豊後の大友氏の宇和郡侵攻と宇和郡の在地領主の動向、土居清良の奮戦について書く。とくにその巻七上下は「親民鑑月集」ともいわれ、宇和郡の農事・農政、農業技術・農業経営、領主・農民の思想について述べ、この部分は日本最古の農書であるとされる。

活字本 松浦郁郎校訂「清良記」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「清良記」の意味・わかりやすい解説

清良記
せいりょうき

軍記物。伊予国(愛媛県)宇和郡地方の武将土居清良の一代記であるが、その巻7(親民鑑月集)が、とくに農業にあてられており、日本最古の農書とされる。著者は、松浦宗案とされていたが、近年土居真吉(さねよし)(水也)であることがわかった。成立の年代は明らかでないが、清良の死亡した1629年(寛永6)から、著者の土居水也の死亡した1654年(承応3)の間に書かれたものとされる。当時の農村の荒廃は甚だしく、農民の生産性を高めることが強く求められていた。そのための方策を、領主の問いに対して答えた形になっている。その内容はきわめて具体的で、技術だけでなく、経営のあり方についても、実例をもって指導している。

[福島要一]

『徳永光俊他編『日本農業全集 10 清良記(親民鑑月集)』(1980・農山漁村文化協会)』

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百科事典マイペディア 「清良記」の意味・わかりやすい解説

清良記【せいりょうき】

戦国末期の四国伊予宇和郡の土豪土居清良(1546年―1629年)の一代記を中心とする軍記物語。30巻。著者は土居水也とされる。第7巻は《親民鑑月集》と題され,松浦宗案(貞家)が土居清良の諮問に答える形式の農書で,1564年成立とされており,日本最古の農書といわれていたが,全体の著者も含めて疑問視されている。
→関連項目農書

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「清良記」の解説

清良記
せいりょうき

戦国期~江戸初期に伊予国の武将だった土居清良(どいきよよし)の生涯を扱った軍記物。30巻。巻7は他巻と内容を異にした農業技術書に相当し,「親民鑑月集」ともいわれ,日本最古の農書で中世農書とみなされてきた。一般に「清良記」といえば巻7をさす。清良の家臣松浦宗案による農業についての意見具申や,清良と宗案の問答をもとに,農業技術・経営・生活などを詳細に論じている。近年の書誌学的考察や書中の作物名・栽培技術の検討などから,巻7は戦国末期の成立ではなく,17世紀後半に編集された近世農書と考えられている。「日本農書全集」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「清良記」の解説

清良記
せいりょうき

江戸前期,伊予国(愛媛県)の戦国武将土居清良 (きよよし) に関する軍記物語
寛永年間(1624〜44)成立と推定される。30巻。著者不詳。清良の戦歴・軍中日記などを収録。特に第7巻は家臣松浦宗案の農事答申書よりなり,戦国末期の農業技術・経営法を知ることができる。従来,最古の農書として伝えられていたが,近年の研究によって17世紀後半の編集との説もある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「清良記」の意味・わかりやすい解説

清良記
せいりょうき

軍記。 33巻。土居水也編と伝えられる。成立は寛永年間 (1624~44) ,延宝年間 (73~81) などの説がある。伊予国宇和郡大森城主土居清良の一代を綴った合戦記。第7巻が家臣松浦宗案作の農書で,合戦記としてよりも古い農書として有名。

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世界大百科事典(旧版)内の清良記の言及

【伊予国】より

…宇和島藩の七種(ななくさ)連歌は仙台藩の伝統を継承し,江戸期を通じて盛行し,桜田千本(せんぼん)のような歌人を生んだ。宇和郡三間(みま)地方の小領主土居清良の一代記《清良記》は戦記物として知られるが,その第7巻〈親民鑑月集〉は,寛永初年に三間宮野下(みやのした)三島神社の神官土居水也が編纂した日本最古の農書といわれる。また,宇和島藩には井関盛英が編纂した《宇和郡旧記》(1681),《弌墅截(いちのきり)》があり,江戸初期の農事・文化水準の高さをうかがわせる。…

【三間[町]】より

…土居中に鎮座する清良(きよよし)神社は,戦国時代末期の当地の土豪で大森城に拠った土居清良をまつる。三島神社の神官土居水也の記したとされる,清良の一代を中心とした軍記《清良記(せいりようき)》は農書としても著名。曾根の天満神社で9月1日に催される花踊は,土佐の長宗我部氏に滅ぼされた歯長城主の霊を慰める踊りと伝える。…

※「清良記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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