波佐村(読み)はざむら

日本歴史地名大系 「波佐村」の解説

波佐村
はざむら

[現在地名]金城町波佐

現金城町の南部、北流する周布すふ(波佐川とも)流域にあたる。周布川は途中長田ながた川・落谷おとしだに川を合せて北西流し、集落は同川両岸の谷間に沿って細長く分布する。石見安芸道が通る。中世は初め久佐くざ郷のうち、のち波佐郷みにに含まれた。近世領主変遷乙明おとあけ村と同じ。慶長七年(一六〇二)九月二二日の御縄打水帳(金城町歴史民俗資料館蔵)の一部が残る。寛永(一六二四―四四)の検地高九三三石余。文化一一年(一八一四)の高一千五一六石余・反別一九五町六反余、半紙請辻二三六丸五四束・中保一四丸、紙漉船一七九、真綿二三〇匁・茶二一斤二〇匁・漆実三石二斗四升・抓漆五二四匁・蕨縄一〇束五把を産した。高札場一ヵ所、御立山二ヵ所、家数二七六・人数一千四四八、牛一八〇・馬五九。酒屋一・医師一、寺二・社一・小社四。鉄砲九、米蔵二、古城跡三ヵ所、地運上山三ヵ所、鍛冶屋一ヵ所、鑪中場一ヵ所・鉄穴一ヵ所(「万手鑑」同館蔵)恵喜多えのきだ津和野藩の波佐組代官所が置かれていた。当村一帯は花崗岩地帯で、小松木こまつぎ鉄穴・いいやま鉄穴などで鉄穴流しが古来盛んに行われた。また鑪製鉄関連遺跡鍋滝なべだき鑪・栃下とつさげ鑪・かつらさこ鑪など二九ヵ所を数える。とくに桂ヶ迫鑪は天保一一年(一八四〇)三浦彦太郎義能と古和定助忠直が地下農民の農閑期困窮を救うため開設したという(古和家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報