法華経(読み)ほけきょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「法華経」の意味・わかりやすい解説

法華経
ほけきょう

インド大乗仏教初期に成立した経典で、すべての仏教テキストのうちでも、もっとも重要な経の一つ。サンスクリット原典はサッダルマ・プンダリーカ・スートラSaddharmapundarīka-sūtraといい、ネパールにその完全な写本が数種伝えられ、20世紀初めに完本が出版された。そのほか中央アジア(西域)本、ギルギット(カシミール)本などがあり、チベット訳もある。漢訳は、(1)竺法護(じくほうご)訳『正(しょう)法華経』10巻(286)、(2)鳩摩羅什(くまらじゅう)訳『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』7巻(406)、(3)闍那崛多(じゃなくった)他訳『添品(てんぼん)妙法蓮華経』7巻(601)の3本がある。(1)はサンスクリット原典に比較的近いが、解読しがたい。(2)が断然群を抜いて広く読まれ、それが中国や日本の仏教に与えた影響、そしてそれを通じて文学などにみえる反映は、あらゆる仏教経典をあわせたもののなかで最大である。ただし(2)は当初数か所の欠落があり、それらはやや後代に付加され、さらに(3)の補訳の一部を含む。

 現行の『妙法蓮華経』は「提婆達多品(だいばだったぼん)」を加えているが、羅什訳原本にも他書にもなく、それを除くと、すべてのテキストが27章からなる。これらを前半の13章(『妙法蓮華経』だけ14章まで)と後半の14章とに分け、前半を「迹(しゃく)門」、後半を「本門」とする。

 迹門の中心思想は、当時の仏教において、声聞(しょうもん)と縁覚(えんがく)のいわゆる小乗の二乗と、菩薩(ぼさつ)の大乗との計三乗を、一乗(一仏乗)に統一することを説き、さまざまな仏教帰依(きえ)の方便(手段)がことごとく成仏の因縁となることを教えて、ここには寛容宥和(ゆうわ)の思想がみられる。「譬喩(ひゆ)品」(以下章名は『妙法蓮華経』による)だけではなく、多くの章は、まことに巧みな譬喩を交えて、仏教信仰を勧め、また、この『法華経』を尊重すべきことを教える。「見宝塔品(けんほうとうぼん)」などに宝塔について説かれるのは、当時ブッダ(釈迦(しゃか))や偉大な仏教者にゆかりの品々を祀(まつ)った塔(これをストゥーパという)を崇拝していた人々と、この経との密接な関係を物語るとみられる。

 本門の思想は、「如来寿量(にょらいじゅりょう)品」に明言されるように、かつてこの地に現れた歴史上のブッダは方便の姿にすぎず、本来の仏は永遠に滅びることのない久遠(くおん)常住不滅であることを強調する。「常不軽(じょうふぎょう)菩薩品」には、どんな場合にも、どんな人に対しても、尊敬を実践した菩薩の物語がある。「観世音(かんぜおん)菩薩普門(ふもん)品」は、観世音菩薩があまねく衆生を救済することを説いて、観音(かんのん)信仰の根拠となり、この章が独立し、『観音経』として広く読まれて現在に至る。

 古くから、『法華経』をよりどころとして自説をたて、学派・宗派を確立した人々は数多く、また注釈書も圧倒的に多い。とくに、この経に依拠して、中国の智ぎに始まる天台宗は、最澄(さいちょう)により日本に伝えられ、その本拠の比叡山(ひえいざん)には、以後の出家者のほぼすべてが、いったんは籠(こも)って修行し、鎌倉仏教の祖師たちもここに学んだ。なかでも日蓮(にちれん)が『法華経』そのものに傾倒して、「南無妙法蓮華経」の唱題を始めたことは名高い。日蓮宗の系譜から出る現在の日本のいわゆる新宗教の多くも、『法華経』の精神の実践に活躍している。

[三枝充悳]

『坂本幸男・岩本裕訳注『法華経』上中下(岩波文庫)』『松濤誠廉他訳『法華経1・2』(長尾雅人・梶山雄一監修『大乗仏典4・5』1975、76・中央公論社)』『織田得能著『法華経講義』(1978・東方出版)』


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百科事典マイペディア 「法華経」の意味・わかりやすい解説

法華経【ほけきょう】

大乗仏教の重要経典。《妙法蓮華経》が正称で,サンスクリット《サッダルマプンダリーカ・スートラ》の訳。27章(または28章)からなり,紀元前後,インドで成立したとされる。詩や比喩(ひゆ)や象徴的手法を縦横に駆使した精妙な文体で,すべての法はすべて大乗の現れであり(一大乗),仏とは永遠の生命そのものであること(久遠実成(くおんじつじょう))を説く。経典中の王とされ,中国では6種の訳本があったが,現存は竺法護(じくほうご),鳩摩羅什(くまらじゅう),闍那崛多(じゃなくった)・達摩笈多(だつまぎゅうた)共訳の3種。研究書は世親(せしん)の《妙法蓮華経優婆提舎(うばだいしゃ)》以後,中国・日本にも数多く,中でも天台大師智【ぎ】(ちぎ)はこの経によって天台宗を開創した。日本では聖徳太子の《法華義疏(ぎしょ)》をはじめ,最澄(さいちょう)が日本天台宗の基礎にこの経を置いて以来,日本仏教教学の中心となった。ことに日蓮(にちれん)はこの経の題目を唱えることによって,一宗を開創した。
→関連項目熱原法難勧学会鬼子母神金光明経山王一実神道諸法実相鎮護国家日蓮宗日親普賢不受不施派仏教法華会法華百座聞書抄本朝法華験記立正安国論竜女成仏六部六根清浄

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精選版 日本国語大辞典 「法華経」の意味・読み・例文・類語

ほけ‐きょう ‥キャウ【法華経】

[1] (Saddharmapuṇḍarīka-sūtra) 「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)」の略称。大乗仏教の重要な経典の一つ。漢訳に竺法護訳一〇巻(二六五‐三一六年)、鳩摩羅什訳八巻(四〇六年)、闍那崛多・達磨笈多訳八巻(六〇一年)の三種が現存するが、羅什訳が最も有名で、通常は同訳をさす。詩や譬喩・象徴を主とした文学的な表現で、一乗の立場を明らかにし、永遠の仏を説く。中国では羅什訳の後、注釈が多く出、中でも智顗(ちぎ)(=天台大師)の法華三大部(「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」各一〇巻)は有名。智顗は本経に基づいて天台宗を開き、最澄はこれを伝えて日本天台宗を開いたが、日蓮に至ってこの経による新仏教が開創された。ほっけきょう。
※書紀(720)推古一四年是歳「皇太子亦法華経を岡本宮に講す」
[2]
① 香木の名。分類は伽羅(きゃら)。香味は辛苦。六十一種名香の一つ。もとは経の軸で、数が八つあるので一部八巻の意からの名とも、また、法華経の軸であるところからの名ともいう。〔名香合(1502)〕
② その鳴き声にかけてウグイスをいう。
※雑俳・柳多留‐一一五(1831)「百人ながら法花経は読ぬなり」

ほっけ‐きょう ‥キャウ【法華経】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「法華経」の意味・わかりやすい解説

法華経
ほけきょう

大乗仏教の重要な経典の一つ。正しくは『妙法蓮華経』 Saddharmapuṇḍarīka-sūtra。成立年代不詳。数種のサンスクリット原典が現存。漢訳では鳩摩羅什のものが最も有名。ほかに竺法護訳『正法華経』,闍那崛多,達磨笈多共訳『添品妙法蓮華経』がある。またチベット訳,ウイグル語訳,西夏語訳,モンゴル語訳,満州語訳,朝鮮諺文訳などがあり,この経典が非常に広い地域にわたって読誦されたことがわかる。日本仏教史上においてもきわめて重要視され,この経典を根幹として天台宗,日蓮宗が開かれた。

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デジタル大辞泉 「法華経」の意味・読み・例文・類語

ほけ‐きょう〔‐キヤウ〕【法華経】

《〈梵〉Saddharmapuṇḍarīka-sūtraの訳「妙法蓮華経」の略》大乗仏教の最も重要な経典の一。漢訳は、竺法護じくほうご訳10巻(正法華経)、鳩摩羅什くまらじゅう訳8巻、闍那崛多じゃなくったら訳8巻(添品妙法蓮華経)の3種が現存するが、ふつう羅什訳をさす。28品からなり、譬喩を交えた文学的な表現で法華一乗の立場や永遠の生命としての仏陀を説く。天台宗日蓮宗所依しょえの経典。ほっけきょう。

ほっけ‐きょう〔‐キヤウ〕【法華経】

ほけきょう(法華経)

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旺文社日本史事典 三訂版 「法華経」の解説

法華経
ほけきょう

仏教経典の一つ
『妙法蓮華経』の略称。8巻。鳩摩羅什 (くまらじゆう) の漢訳本が広く流布。聖徳太子が講義し,奈良時代には,成仏不可能とされた女人救済の唯一の経として,法華滅罪之寺(国分尼寺)も建てられ,『金光明最勝王経』『仁王 (にんのう) 経』とともに護国三経の一つとなった。天台宗・日蓮宗の根本経典。

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世界大百科事典 第2版 「法華経」の意味・わかりやすい解説

ほけきょう【法華経】

大乗仏教経典の一つ。天台宗,日蓮宗の中心聖典。原題はサンスクリットで《サッダルマプンダリーカ・スートラSaddharmapuṇḍarīka‐sūtra》(白蓮華のごとき正しい教え)。サンスクリット語原典,チベット語訳および漢訳3種が現存する。漢訳は竺法護(じくほうご)訳《正法華(しようほつけ)経》,クマーラジーバ(鳩摩羅什(くまらじゆう))訳《妙法蓮華経》,闍那崛多(じやなくつた)・達摩笈多(だつまぎゆうた)共訳《添品(てんぽん)妙法蓮華経》であるが,一般に用いるのはクマーラジーバ訳である。

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世界大百科事典内の法華経の言及

【一乗】より

…仏陀は人間の素質や能力に応じて種々の説(三乗)を説いたが,それらは人びとを導くための方便にすぎず,実は唯一つの真実の教えがあるのみで,それによっていかなる人間もすべて平等に仏に成ることができると説く。法華・勝鬘・華厳等の大乗経典の所説で,とくに《法華経》(方便品)は,三乗の教えを方便の権説とし,一乗の教えのみが真実説であり,三乗教も究極的にはこの一乗教に帰するものであることを明らかにしたので有名。これを《法華経》の〈一乗開会(かいえ)〉という。…

【一致勝劣】より

…本迹(ほんじやく)一致と本迹勝劣を省略した語。《法華経》を解釈するにあたり,前半の14品(14章の意味)を迹門(しやくもん)とよび,後半の14品を本門とし,両門の関係が論じられた。日蓮は《法華経》をもって末代(末法)への教主釈尊の救いとし,天台宗が伝統的に迹門本門を一体とする解釈を批判して,本門によってこそ《法華経》の救いが保証されるとした。…

【一品経】より

…仏教の経典を章節(品(ほん)という)ごとに1巻に仕立てた写経。遺品のうえからはほとんど《法華経》に限られる。《法華経》は奈良時代以来しばしば写経されたが,藤原道長は1002年(長保4)5月,自邸で《法華経》の1品ずつを講賛する〈法華三十講〉を始行し,以後これを恒例とした。…

【観音】より

…5世紀初頭に法顕は南海で嵐にあったとき観音に祈った。《法華経》中の観世音菩薩普門品に同類の思想がみられ,この品が日本人の観音信仰の支えになっている。観音のサンスクリット名は男性名詞であるが,観音に種々の変化身があるため,オリエント(イランを含む)の母神信仰的要素がこれを通じて仏教に入りこみ,〈准胝観音〉,〈馬郎婦観音〉,〈多羅尊観音〉などを生み出した。…

【装飾経】より

…また正倉院蔵《梵網経》の表紙には山水が金銀泥で描かれている。平安時代に入って,写経の功徳を最も端的に説き女性往生をも説く《法華経》が広く信仰をあつめ,写経も宮廷貴族を中心に個人の営為が多くなった。さらに《法華経》信仰の中で法華八講と呼ばれる法会が盛行し,華美な行事となっていった。…

【鎮護国家】より

…鎮国ともいう。多くの仏典のなかにあって護国思想の顕著な《仁王般若(にんのうはんにや)経》《金光明(こんこうみよう)最勝王経》《法華経》の護国三部経のほかに,《大般若経》などが用いられた。もともと出世間の教えを説く仏教が,中国に伝来し教団勢力が形成されると,国家権力によって保護され統制され,利用されるようになる。…

【天台宗】より

… 隋代,天台智顗(ちぎ)が第2代皇帝煬帝(ようだい)の帰依をうけ浙江省の天台山国清寺と湖北省の荆州玉泉寺をひらき,中国仏教を再編したのに始まる。すでに5世紀の初め,クマーラジーバ(鳩摩羅什)が漢訳した《法華経》に基づき,智顗が著した注釈書の《法華玄義》と《法華文句》および《摩訶止観》の3部を根本聖典とする。9世紀の初めに,伝教大師最澄が入唐し,智顗より7代目の道邃と行満について宗旨をうけ,比叡山に延暦寺を創して日本天台をひらくが,最澄は,天台法華宗のみならず,達麿系の禅,円頓戒,密教という,同時代の中国仏教をあわせて,奈良仏教に対抗する新仏教運動の根拠としたため,日本天台は中国のそれとかなりちがったものとなる。…

【方便】より

…経典・論釈のみならず,文学作品などに用いられる場合,微妙な意味の変化がみられるが,基本の意味をふまえることによって理解できよう。とくに《法華経》では方便を開いて真実をあらわすことが大きなテーマになっており,〈方便品〉では〈三乗(さんじよう)が一乗(いちじよう)の方便である〉という。すなわち,小乗のさとりを求める声聞乗(しようもんじよう)・縁覚乗(えんがくじよう)も,大乗のさとりを求める菩薩乗も,すべて仏陀のさとりそのもの(一仏乗)に至らしめる方便であるという。…

【法華経美術】より

…《法華経》の全体もしくはその一部を典拠とし,経意ないしは経中に説かれた譬喩(ひゆ)説話や奇跡の情景を絵画,彫塑などに表現したもの。さらに《法華経》中の説話を意匠の拠り所とした工芸品や,書跡としての《法華経》そのものに種々な装飾を施したり,書写に工夫を加えた装飾経などを含む。…

【法華宗】より

…《法華経》をよりどころとする宗派。《法華経》は,インドの比丘(びく)(僧)の教団とは別に,在家信者の菩薩団の運動のなかで北西インドに成立,釈尊は歴史を超えた永遠の昔からの存在であるとし,その教えを譬喩(たとえ)や象徴によって説いた。…

【竜宮】より

…その宮殿は天上,地上,地下の中で最も華麗で,かつてここを訪れたナーラダ仙は,天界のインドラの世界よりも美しいと称賛したという。《法華経》第12,提婆達多品(だいばだつたほん)に,海中の娑竭羅(サーガラ)竜王の竜宮において,竜王の賢い娘が悟りを得るため,男子に変成した話がある。【田中 於菟弥】。…

※「法華経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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