山王一実神道(読み)サンノウイチジツシントウ

デジタル大辞泉 「山王一実神道」の意味・読み・例文・類語

さんのう‐いちじつしんとう〔サンワウイチジツシンタウ〕【山王一実神道】

日吉神道ひえしんとう

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精選版 日本国語大辞典 「山王一実神道」の意味・読み・例文・類語

さんのう‐いちじつしんとう サンワウイチジツシンタウ【山王一実神道】

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百科事典マイペディア 「山王一実神道」の意味・わかりやすい解説

山王一実神道【さんのういちじつしんとう】

日吉(ひよし‖ひえ)神道一実神道,天台神道とも。天台宗側から出た神道説で,法華経に基礎を置き,比叡山延暦寺の地主神たる日吉神を山王としてあがめる。平安後期か鎌倉初期に興ったと考えられ,江戸時代まで広く行われ,全国各地の山王社分布のもととなった。比叡山の大宮,二宮などを中心に21社を建て,これを仏,菩薩(ぼさつ)に配当し,大宮,二宮,聖真子(しょうしんじ)を釈迦(しゃか),薬師,弥陀(みだ)の垂迹(すいじゃく)とする。さらに江戸初期,天海の出現によってとみに流行した。
→関連項目山王信仰神仏習合日吉大社

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山王一実神道」の意味・わかりやすい解説

山王一実神道
さんのういちじつしんとう

両部神道の一つ。日吉 (ひえ) 神道,山王神道ともいう。天台宗の神道説である。山王の2字は三諦即一一心三観の理を含むとして,延暦寺の鎮守としてあがめられる日吉山王と天台宗の教理を付会したもの。平安時代初期,すでに最澄が神仏信仰の調和を示していたが,さらに慈覚,智証両大師の力で朝野の信仰を集めた。天台宗の所依経典である『法華経』に基づく国家守護的な思想を基調に山王=アマテラスオオミカミへの信仰を説いて栄えたが,鎌倉時代の『耀天記』『日吉本記』などに特にその思想が示されている。江戸時代初期に天海は,徳川家康の廟を日光山に設けて東照宮を創建し,江戸幕府の信仰を厚くした。また彼は山王と一実 (→一実神道 ) の語を結合して山王一実と称した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「山王一実神道」の解説

山王一実神道
さんのういちじつしんとう

神仏習合理論を根本とする神道説
日吉 (ひえ) 神道ともいう。近江日吉神社を中心に天台宗の三諦即一 (さんたいそくいつ) の教理が結びついた神道説。平安時代から唱えられ鎌倉〜南北朝時代盛行。江戸初期,僧天海がこれを主張し,大いに栄えた。

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世界大百科事典(旧版)内の山王一実神道の言及

【山王神道】より

…以上が延暦寺を中心に発達した山王神道の概略であるが,この山王神道は智証大師円珍とその門流の僧徒の手によって発展充実し《山家要略記》《三宝住持集》などの伝書が作成された。 山王一実神道とは天台宗の〈三諦即一〉または〈円頓一実戒〉にもとづいて形成された神道思想で,〈山王〉と〈一実〉の語を結合させ江戸時代の初期南光坊天海(慈眼大師)によって提唱された。比叡山延暦寺が平安京鎮護の国家寺院として建立されたのに対し,天海は徳川幕府鎮護の寛永寺を江戸に建立し,幕府の開祖徳川家康の廟所日光廟をも天台神道によって建立,関東天台宗の基礎を固めた。…

※「山王一実神道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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