日親(読み)ニッシン

デジタル大辞泉 「日親」の意味・読み・例文・類語

にっしん【日親】

[1407~1488]室町中期の日蓮宗の僧。上総かずさの人。号、久遠成院。京都で辻説法をし、本法寺を開創。「立正治国論」を著して将軍足利義教諫言かんげんしたため焼き鍋をかぶせられた。

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精選版 日本国語大辞典 「日親」の意味・読み・例文・類語

にっしん【日親】

室町時代日蓮宗の僧。号は久遠成院。上総国千葉県中山法華経寺日暹に学び、一九歳で西海総導師職となったが、再び中山に帰って厳しい修行を積み、永享九年(一四三七)入洛して辻説法を行なう。同一一年には「立正治国論」を著わして将軍足利義教を諫めて一時投獄された。このとき焼いた鍋を頭にかぶせられたとの伝説が生まれ、「なべかむり日親」と称された。著書に「折伏正義鈔」「埴谷抄」など。応永一四~長享二年(一四〇七‐八八

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改訂新版 世界大百科事典 「日親」の意味・わかりやすい解説

日親 (にっしん)
生没年:1407-88(応永14-長享2)

室町・戦国時代の日蓮宗の僧。久遠成院と号する。幕府の弾圧にも屈せず《法華経》の信仰を主張したので,頭から焼け鍋をかむらされたという伝説から〈なべかむり日親〉として有名。上総国埴谷(現千葉県山武市,旧山武町)に生まれ,中山法華経寺(市川市)において出家した。やがて〈九州の導師〉として,肥前国小城郡の光勝寺(現,佐賀県小城市)に下向したが,その指導方針が本山の意向とあわず,ついに破門された。このため1437年(永享9)に上洛し,《折伏正義抄》を著して伝道への決意を語り,《立正治国論》を著して将軍足利義教に直訴を企てたが,40年2月に捕らえられて禁獄された。その翌年には恩赦によって出獄し,京都に本法寺を建立して本拠地を固め,全国各地に伝道活動を展開した。しかしその主張が他宗を激しく攻撃するものであったため,いたる所で厳しい迫害を被った。62年(寛正3)には再び幕府に捕らえられたが,翌年には自由の身となり,その後は本法寺を中心とする教団体制の確立に尽力した。この時期の著作に,《埴谷抄》《伝灯抄》《本法寺法式》《本法寺縁起》などがある。日親の果敢な伝道活動の目標は,宗祖日蓮が主張する仏法至上主義を行動の中で受け止め,発展・深化させることにあった。彼の受難体験を神秘的にとらえようとする〈なべかむり日親〉の伝説は,江戸時代になってから集成されたものである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日親」の意味・わかりやすい解説

日親
にっしん
(1407―1488)

室町中期の日蓮(にちれん)宗の僧。久遠成院(くおんじょういん)と号した。上総(かずさ)国(千葉県)の人。下総(しもうさ)国(千葉県)中山の法華経(ほけきょう)寺で修学し、21歳のときに「九州の導師」として肥前(ひぜん)国松尾(佐賀県小城(おぎ)市小城)の光勝(こうしょう)寺に赴く。しかし日親の主張する信仰は厳格であったので、領主と対立を生み、破門される。やがて上洛(じょうらく)した日親は、『法華経』の純粋な信仰を将軍足利義教(あしかがよしのり)に進言しようと、『立正治国論(りっしょうちこくろん)』を著したが、捕らえられて激しい法難を受ける。獄中で、焼けた鍋(なべ)をかむらされたということから、「鍋かむり日親」の異名がある。赦(ゆる)されてからは、京都の本法(ほんぽう)寺を中心に諸地方に伝道、30余りの寺院を創建した。著書に『立正治国論』のほか『折伏正義抄(しゃくぶくしょうぎしょう)』『伝燈抄(でんとうしょう)』『埴谷抄(はにやしょう)』『本法寺縁起(えんぎ)』がある。

中尾 尭 2017年9月19日]


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朝日日本歴史人物事典 「日親」の解説

日親

没年:長享2.9.17(1488.10.21)
生年:応永14(1407)
室町時代の日蓮宗の僧。久遠成院という。上総国(千葉県)の人。はじめ中山法華経寺日英に師事。応永34(1427)年,上洛して弘教活動を開始。永享5(1433)年には中山門流の総導師として九州に赴き門徒を指導するが,その厳しい 折伏主義への反発によって逆に同門流から破門された。同9年,再び上洛して本法寺を建立,将軍足利義教に法華信仰の受持と他宗の排斥を勧めたが拒否され,以後の伝道も禁止される。この命令にそむき『立正治国論』を著して再度の弘教を準備中に露見して逮捕,陰茎に竹串を突き刺されたり舌先を切り取られるなどの拷問を受けた。そのとき赤く焼けた鉄鍋を頭にかぶせられたといわれ,そのことが後世,江戸時代に「なべかむり日親」と呼ばれる原因となった。嘉吉1(1441)年,義教が赤松満祐に殺害されることによって赦免,弾圧中に破壊された本法寺を再建した。寛正1(1460)年,九州巡錫の途中,他宗への激しい攻撃のため,当地の諸宗僧侶の訴えにより本法寺を破却される。日親も召喚され投獄されたが翌年には赦免,三たび本法寺を建立した。日親は日蓮以来の仏法至上主義の正統として自身の立場を強調し,諸宗や日蓮宗各派,さらにはそれを後押しする権力者に対して常に戦闘的な姿勢をとった。その肖像はやがて攘災招福の仏として庶民の信仰の対象となる。<参考文献>中尾尭『日親』

(佐藤弘夫)

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百科事典マイペディア 「日親」の意味・わかりやすい解説

日親【にっしん】

室町時代日蓮宗の僧。上総(かずさ)の人。将軍足利義教(よしのり)に法華経のみの信仰を求め,直訴するため《立正治国論》を著したが,かえって怒りをかい,1440年逮捕・投獄された。獄中で灼熱の鍋をかぶらされたという伝説から〈鍋かぶり日親〉といわれる。翌年恩赦で出獄。京都本法寺を再建して全国に伝道活動を展開するが,諸所で迫害を受け,幕府の弾圧も続いた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「日親」の解説

日親
にっしん

1407~88.9.17

室町時代の日蓮宗の僧。上総国生れ。はじめ中山門流に属したが,その厳格な折伏(しゃくぶく)主義のため破門される。1437年(永享9)上洛して本法寺を建立。「立正治国論」を著し,命令に背いて将軍足利義教に改宗をせまる諫暁(かんぎょう)を再度行おうとしたため逮捕され,「なべかむり日親」の名の由来となるきびしい拷問をうけた。義教の死でゆるされる。弾圧中に破壊された本法寺を再建。その肖像はのち庶民の攘災招福の信仰対象となる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日親」の解説

日親 にっしん

1407-1488 室町時代の僧。
応永14年9月13日生まれ。日蓮宗。日英,日暹(につせん)に師事し,京都,九州など各地で布教。「立正治国論」を将軍足利義教に呈上しようとして法難をうけ,やけた鍋(なべ)をかぶせられたという伝説から「鍋かむり日親」ともよばれる。京都本法寺などをひらいた。長享2年9月17日死去。82歳。上総(かずさ)(千葉県)出身。号は久遠成院。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日親」の意味・わかりやすい解説

日親
にっしん

[生]応永14(1407).上総
[没]長享2(1488).京都
室町時代の日蓮宗の僧。鐺冠 (なべかぶり) 日親と通称。号は久遠成院。中山法宣院の日英の高弟で,九州肥前での日蓮宗教団の発展に大きく寄与した。また『立正治国論』を著わし,将軍足利義教を諫言したため焼鍋をかぶせられる拷問を受けた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「日親」の解説

日親
にっしん

1407〜88
室町中期の日蓮宗の僧
上総 (かずさ) (千葉県)の人。1439年『立正治国論』によって幕府に諫言したため,将軍足利義教 (よしのり) に投獄され,熱せられた鍋をかぶせられるなどの拷問をうけたが屈せず,折伏 (しやくぶく) につとめ,教勢拡大に功があった。俗に鍋冠 (なべかぶり) 上人という。著書に『折伏正義抄』など。

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367日誕生日大事典 「日親」の解説

日親 (にっしん)

生年月日:1407年9月13日
室町時代;戦国時代の日蓮宗の僧
1488年没

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世界大百科事典(旧版)内の日親の言及

【本法寺】より

…叡昌山と号する。〈なべかむり〉の法難で有名な日親が,康正年中(1455‐57)に開創した寺で,もとは四条綾小路にあった。日親はこの寺を伝道活動の本拠とし,さらには諸地方に散在する一門の寺々の本山として位置づけた。…

※「日親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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