河沼郡(読み)かわぬまぐん

日本歴史地名大系 「河沼郡」の解説

河沼郡
かわぬまぐん

面積:三二三・六三平方キロ
河東かわひがし町・湯川ゆがわ村・会津坂下あいづばんげ町・柳津やないづ

会津盆地の中央部、猪苗代湖岸から只見ただみ川流域まで東西に細長く連なる。現在の河沼郡は北は日橋につぱし川・阿賀川(大川)を隔てて耶麻郡磐梯町・塩川しおかわ町、喜多方市、耶麻郡山都やまと町・高郷たかさと村・西会津町に接し、南は会津若松市、北会津郡北会津村、大沼郡新鶴にいつる村・会津高田あいづたかだ町・昭和しようわ村・三島みしま町、西は同郡金山かねやま町に接する。第二次世界大戦後の町村合併以前は、現高郷村・西会津町の阿賀川南部は河沼郡に属しており、現柳津町西山にしやま地区は大沼郡だったので、旧来の河沼郡地域を対象として以下の記述を進める。

東部は磐梯山・猫魔ねこまヶ岳の噴火による泥流の堆積丘陵地で、猪苗代湖より流出する日橋川は、会津若松市方面より北流するせせなぎ川および湯川を湯川村北端で合せて西流する。中央部は平坦地で、阿賀川と旧みや(鶴沼川)が北流する。西部は越後山脈に連なる山間地帯で、只見川が北流して浸食渓谷をなしている。阿賀川は湯川村と会津坂下町の境で日橋川を合せ、ここから西流する。次に会津坂下町の青津あおづ津尻つじりの境で宮川を合せ、さらに高郷村で只見川を合せ、会津盆地の唯一の集水路となり、県境を越えると阿賀野あがの川と名を変えて越後平野に注ぐ。

〔原始〕

東部と西部の山地から山麓には縄文時代の遺跡、平坦部には縄文時代末期から弥生時代の遺跡、西部の山地から山麓にかけて古墳が多く存在する。縄文時代のものとして河東町大野原おおのはら遺跡、会津坂下町松原まつばら遺跡・竈原かまどはら遺跡・袋原ふくろはら遺跡・大村新田おおむらしんでん遺跡、柳津町の石生前いしうまえ遺跡・居平いだいら遺跡などがある。とくに石生前遺跡は縄文時代中期―晩期の遺跡で東北系の渦巻型の土器、北陸系の火炎土器、関東系の土器、それらの特徴を併せもった土器も出土し、当時の文化交流をうかがい知ることができる。弥生時代から古墳時代にかけてのものとしては、東北地方最大の方形周溝墓が発掘された会津坂下町の男壇おだん遺跡、東北地方最古の三世紀末―四世紀初頭のものと思われる同町のきねもり古墳、会津の古墳には埴輪はないという従来の定説をくつがえし人物・馬・家など形象埴輪が出土した同町の経塚きようづか遺跡がある。とくに阿賀川南岸の会津坂下町の宇内うない青津あおづ地区は東北地方第二位の規模を有するかめもり古墳やその近くの鎮守森ちんじゆもり古墳のほか、西側の山頂に雷神山らいじんやま古墳・森北もりきた支群・出崎山でさきやま支群・鍛冶山かじやま支群など古墳時代前期のものが密集し、東北地方でも最大級の古墳群が形成されている。郡東部の丘陵にある河東町の駒板新田こまいたしんでん横穴群は二九基の横穴が確認され、鉄刀などの副葬品や土師器・須恵器が出土し、七世紀後半から八世紀にかけての遺跡である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報