樺崎寺跡(読み)かばさきでらあと

日本歴史地名大系 「樺崎寺跡」の解説

樺崎寺跡
かばさきでらあと

[現在地名]足利市樺崎町

八幡はちまん山の東麓に位置する寺院跡。現在は樺崎八幡宮となっている。室町時代に成立したと考えられる鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第(鑁阿寺文書)によると、文治五年(一一八九)足利義兼が奥州参陣の時、藤姓足利俊綱・忠綱の家臣と考えられる樺崎江六の「逐電跡」の樺崎郷を寄進し、伊豆走湯そうとう(現静岡県熱海市)の理真朗安を招いて開山として寺を開いたという。建久七年(一一九六)に法円房隆験が住持となり、隆験が没するとその廟所に一切経蔵が建てられ、義兼の叔父額田僧都寛典が宋から求めた一切経が収蔵された。隆験の次には建仁二年(一二〇二)証明房重禅が、嘉禄二年(一二二六)には熱田弁僧都重弘が住持となり、重弘の代に父の鷹司禅門の供養のために多宝塔が建立された。寺内の竹内地蔵堂の本尊は重弘の等身大像という。この間の正治元年(一一九九)に義兼が樺崎で没すると、当寺はその廟所となり、朱丹で塗られたので赤御堂と称され、鑁阿ばんな寺が足利氏の氏寺であるのに対し、菩提寺となった(前掲縁起并仏事次第)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「樺崎寺跡」の解説

かばさきでらあと【樺崎寺跡】


栃木県足利市樺崎町にある寺院跡。寺域は足利氏宅跡(鑁阿寺(ばんなじ))の北東約4.5kmの、樺崎川沿いの谷に八幡山を背に東面している。中世を代表する豪族武士団、足利氏の12世紀末創建の氏寺と廟所(びょうしょ)の跡である。遺構の遺存状態も良好であり、八幡山を借景とする浄土庭園跡としても東国を代表する遺跡で、足利勢力の盛衰と遺構の変遷もよく一致し、足利氏、鎌倉公方(かまくらくぼう)の仏教文化を代表する中世寺院跡として重要である。1984年(昭和59)から継続的に実施された発掘調査によって、古文書や絵図史料に記載されている供養石塔跡、堂舎跡、僧坊跡などが確認され、寺域は東西約200m、南北約300mの範囲と推定されている。2001年(平成13)に国の史跡に指定。JR両毛線足利駅から車で約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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