梶原景山(読み)かじはら・けいざん

朝日日本歴史人物事典 「梶原景山」の解説

梶原景山

没年:安永1.12(1772)
生年享保12(1727)
江戸後期,讃岐(香川県)木田郡潟元村(高松市)の塩田開拓者。名は景弼,通称重太夫。景山は号。鎌倉幕府御家人梶原氏の裔で,大内郡引田生まれ。一族衰微を製塩事業によって復興することを志し,29歳で潟元干潟の干拓を計画。自らも工事に携わる一方で,製塩先進地の赤穂(赤穂市)や松永(福山市)から熟練者を呼び,苦心の末宝暦5(1755)年23町歩余の亥の浜を,同7年には19町歩余の子の浜を築造した。この塩田干拓により17戸の寒村が300戸余の村となったと伝える。<参考文献>香川県女子師範学校編『塩田研究』,水上清『塩と碑文

(廣山堯道)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梶原景山」の解説

梶原景山 かじわら-けいざん

1727-1773* 江戸時代中期の塩田開拓者。
享保(きょうほう)12年8月7日生まれ。讃岐(さぬき)高松藩主松平頼恭(よりたか)の命で,屋島の潟元(かたもと)村に宝暦5年(1755)30ha余の「亥(い)の浜塩田」を完成させた。翌年には「子(ね)の浜塩田」をひらく。安永元年12月27日死去。46歳。讃岐出身。名は景弼。字(あざな)は寅亮。通称は重太夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「梶原景山」の解説

梶原景山 (かじわらけいざん)

生年月日:1727年8月7日
江戸時代中期の讃岐木田郡潟元村の塩田開拓者
1773年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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